もちろん目の前にあり日々使っているPCでもプログラミングはできる。できるけれども、しない。自分にとってそういう機械ではなくなっている。少し面白いな。
Posts by jun758
ポケコンが手元にあると、いつでもプログラムが組めてすごいな…と感じる。1日中PCの画面をみて生活しているくせに。
せっせとバラして最下層。いやー綺麗な青ですね…銅が溶けてやがる。
電池は抜いて保管しましょうね。ほんと。
故障原因を見つけた!直した!と浮かれるんじゃなくて、やるなら徹底的に全バラシした方がいい。急がば回れだよ。というようなことを、車いじりの先輩もカメラいじりの先輩も言っていた。沁みるね…
直したポケコンで遊んでたら、いくつかのキーが効かないことに気づく。もう一回分解。手抜きして下半分をバラさず、適当な修理やるからこうなる。
スーパーカーではない。スポーツカーでもない。マッスルカーでもない、高性能車じゃない、最新でもない。そういう否定の語句をいくつか並べた後で、じゃあ何でもない普通のものか?と問われると、普通じゃない、とにかくすごくカッコいい車!という答え方になる。
いやしかし仮面ライダーや009、あとゴルゴ13、あのあたりの世界観よね。完全に萬画やないかい。
現代を見る時、どちらかというとアメリカ史よりもフランス革命の方をちゃんと知る方が大事かな。その後に、資本論的な視点をインストールするかどうかはお好みで。俺は入れておいて損はないと思う。
60年代後半に西海岸で発生したカルチャーと、それが理想と掲げた世界のありよう。いま進んでいる事態はその理想とは反対のようにみえて、実は着々と実現しつつあるんじゃないかなーと俺は思う。
ちなみにさっきの引用の一つ前の呟きはこれ。ルーン=生成AIにおけるプロンプトのことで(既に懐かしい表現だな…)、生成AIのクリエティブ利用の是非やプロンプトの独占や公開について話している流れですね。4年前に。
あの1984年にはならないんじゃなかったの?なんか結局そうなるみたいで、あんたら林檎もそっち側の一角やで。という…
youtu.be/VtvjbmoDx-I
本邦が既に経験してきた、バブル崩壊から世紀末にかけての嫌な感じ。閉塞しつつ底が抜けてしまって、身も蓋もなくなっていく世相。またやんのかねあれを。もっと大規模に。
個人的には、オウムが「コスモクリーナー」と命名してたことにすごく近いものを感じる。
俺らナードの幼児性、そこからくる万能感、そして底の無い残虐さ。無垢な子供こそ昆虫などの命を弄ぶ。
世界を左右する連中が指輪物語やアメコミなどのフィクションから引用する。監視システムの名前はゴッサムだし、自らをサウロン側と認識していることも含めて、まぁほとんどギャグみたいな世界。
2022年の段階でこういう話が出来ているので、まぁまぁちゃんと見えているな…と思う。過去を学んで、俯瞰で見るの大事よ。
パランティアのやつ、いやー完全にフィクションの世界に生きてるな…今の俺ら…。
誕生から目撃し、ブームを渦中で熱狂し、衰退やバトンタッチも体験して、滅亡まで見届ける。
まだ滅亡してない!という方もおられるのでどのジャンルがそうとは言わないけれど。結構色々なジャンルのワンサイクルを丸ごと楽しめたから、いい時代に生まれたな…と思う。
怒涛の80年代が過ぎて、パソコンは高性能になり、職場にも大学にも普及していき、ホビー用途で欲する子どももMSX等を手にいれて、そして比較安価な実用マイコンとしてのポケコンの役目は終わった。
最後まで残ったのはプログラミング&メカトロ教材としての価値で、末期モデル群は学校教材モデルのみラインナップされて学校向けにだけ継続販売された。そしてそれも終わった。
ポケコン前史が79年、始まったのが80年-81年、安価な機種でホビー世代にブレイクしたのが82年くらい。プログラム投稿雑誌にはパソコン用と並んでポケコン用も載って数年は並走が続く。今から思えば、たったの数年の間の出来事だが…
並行して起こっていたマイコンブームの中で、ポケコンは安価なマイコンとして若い子に発見される。俺も親が残業で家に持ち帰ってきたポケコンを奪いとって、ゲームプログラムを打ち込んで遊んでいた。翌朝には回収されてしまうのに…
ポケコンは最初から業務用実用品として生まれて買われて使われた。関数電卓の自由度が高い版ですね。測量など土木関係の計算機や営業マン向けの金融計算機として外に持ち出して使える便利な道具。
マイコンやポケコンで入った世代、メモリマップを実感しているプログラマ世代がそろそろ引退し始める。そしてこれから入ってくる新世代は、AIアシスト前提のバイブコーディングになる。この世界はどういう風に変わっていくのだろう…
もちろん、現代のスマホに至るまで、物体としてのパーソナルなコンピュータは途切れることなく続いている。が、今のスマホは「受け取る窓」「消費する場」であって…
筆箱ほどのサイズに乾電池4本で8086互換のCPUを動かして、BASICもアセンブラもC言語も動く。電卓の強化版から辿り着いた行き止まり。
そして老眼と四苦八苦して(マ・ジ・で、もう眼が終わりつつある…)、あっさり修理完了。液晶も綺麗なもんですね。
秋月までお散歩。増設メモリまで含めても全部で180円!おとなの駄菓子屋だなぁ…
この辺、理系や工学系でも端境の世代のギャップがあって。車いじりはプロだけど電子やコンピュータはサッパリってボヤくおやっさん整備士世代と、ROMライタで燃料マップ書き換えてヒャッホイする若手みたいなズレはあったのだ。劇パトはあの頃の空気感をよくとらえてる。
ちなみに80年代90年代の電子機器基板、電解コンデンサ(キャパシタ)はほぼ死にます。古いパソコンもシンセもそうだし、自動車もインジェクション化と電装化が進んだ時代なので中枢部に電子基板が入っていて、その中の小さなキャパシタが死ぬと、エンジンすらかからなくなる。直せるはずの車がどれだけスクラップになったことか…
それは相似というよりも、コンシューマー商品の変化の必然、当然そうなる帰結、というように思える。だからプラモやガンプラの行く末も既に確定していて、ただそうするかしないか、時間軸的引き伸ばしに入っているだけじゃないかな。
基板にハンダゴテあてて色々作ったり、買ってきたPCやゲーム機を分解して改造してた世代からみると、自作PCって別に自作してないじゃん…既製パーツ選んで買ってきて差し込んでるだけじゃん…と見える。
秋葉で部品集めてマイコンをゼロから組んでた上の世代は、俺らのことを既製キット買って組むだけ、製品をいじってるだけ、とみてただろうな…と思う。