デレク・ジャーマン《運動失調:エイズは楽しい》1993年、油彩/カンヴァス
同じ展示で観られるデレク・ジャーマンの<AIDS is Fun>(1993)。ゼロ年代に自分が学生だった頃、彼の映画作品をよく観ていた。省略がうまく、洗練された構図の映像はもちろん、詩的なモノローグやセリフも好きだった。ゲイであることのアイデンティティを強く意識させる作品が多いけど、この絵も直裁にそうだなと思う
デレク・ジャーマン《運動失調:エイズは楽しい》1993年、油彩/カンヴァス
同じ展示で観られるデレク・ジャーマンの<AIDS is Fun>(1993)。ゼロ年代に自分が学生だった頃、彼の映画作品をよく観ていた。省略がうまく、洗練された構図の映像はもちろん、詩的なモノローグやセリフも好きだった。ゲイであることのアイデンティティを強く意識させる作品が多いけど、この絵も直裁にそうだなと思う
『ハンズワースの歌』のレビューを1987年にサルマン・ラシュディとスチュアート・ホールがガーディアン紙に寄せたみたいなのだけど、著作権的にグレーな情報源でしかオンラインだと確認できないな...。
テート美術館:YBA & Beyondを観てきた。特にパワフルで印象に残ったのがドキュメンタリー 『ハンズワースの歌』*Handsworth Songs*(ブラック・オーディオ・フィルム・コレクティヴ、1986年)。1985年バーミンガムのハンズワース地区で起きた事件のきっかけである警察によるレイシャルプロファイリングと暴力、英国の構造的な帝国主義支配を批判する内容。カリブ系、インド系、ミックスルーツなど移民コミュニティの人たちのインタビュー、写真、映像の引用などで構成されている。カメラを向けるジャーナリストの姿が概して醜悪で、多数派向けの移民の表象を求めるとこんな表情になるのかと思った。
この仮説が偏見なのは、トランス女性が「女性的な身体をもつ性的空想をする」ことではなくて、トランスジェンダーは性的な関心こそが行動の中心だ、という前提が置かれている点。性別の経験というのは日々の生活の中で否応なくさらされるものなのに、性的な行動ばかりが着目されてしまう。Seranoさんの論文でも、自分と違う身体を空想する経験は、移行前では性別違和の緩和やアイデンティティ探求のサポートになるなど、状況に応じて多様な意味合いをもつことが、トランス女性の調査から述べられている。
仕事でJulia Serano(2020). ”Autogynephilia: A scientific review, feminist analysis, and alternative ‘embodiment fantasies’ model” doi.org/10.1177/0038... 読んだ。オートガイネフィリア性別移行原因仮説とでも呼べるブランチャードの研究を反証している論文。トランスヘイトにも使われる仮説で、過剰に性的に扱われるトランス女性へのミソジニーの例として『ウィッピング・ガール』第14章でも述べられていたもの。科学的手続きの観点から批判した論文、といってもいいのかも
この仮説が偏見なのは、トランス女性が「女性的な身体をもつ性的空想をする」ことではなくて、トランスジェンダーは性的な関心こそが行動の中心だ、という前提が置かれている点。性別の経験というのは日々の生活の中で否応なくさらされるものなのに、性的な行動ばかりが着目されてしまう。Searnoさんの論文でも、自分と違う身体を空想する経験は、移行前では性別違和の緩和やアイデンティティ探求のサポートになるなど、状況に応じて多様な意味合いをもつことが、トランス女性の調査から述べられている。
年度変わって最初の発信がこれなの幸先悪いな!
新年度早々人から自分の性的指向を繰り返し詮索されるというあまり遭遇したくないイベントが発生。私個人のセクシュアリティは問題ではなく、構成員の安全性の問題といっても埒があかず、最終的にはそれなりに手厳しく個人的なことは話したくないからやめろと拒絶しても通じない。「(性的マイノリティという)レアモンスター発見?!」とでも思ってるのか興味本位で質問し続ける相手で消耗してしまった。ほんとうに"No means No"が通じない人たまにいるんだよな遭遇したくないのに
本日3月31日(火)は国際トランスジェンダー可視化の日。情報拡散をお願いします。
【クラウドファンディング活動報告】挑発には乗らない。リベラル劣勢の時代にどう闘うのか全米初のトランス女性下院議員の軌跡 『明日は変わる』を翻訳出版したい! greenfunding.jp/thousandsofb...
ロッキーのぬいぐるみを作りました ふわふわです
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』原作読んでないけど映画版を見てきた。可愛くて賢いエイリアンと宇宙空間で一緒にサバイバルしつつお互いの故郷を救い、ハッピーエンドに落ち着くのは素朴によかった。グレース博士はあのまま幸せに暮らしてほしい。映画だとロッキーとグレースのコミュニケーションの成立プロセスが省略されているのか、数の概念や分子構造をどうやって共有したのかあまりピンと来なかったかも。グレースはロッキーのことを"he"と呼び、男性ジェンダーとして接していたけど、性別概念がどうなっているのかよくわからなかったので、原作だとそのきっかけとかも書いてあるのかな。
IOC が全ての女性アスリート(未成年も含む)に遺伝子検査による性別スクリーニングの導入を発表した件。
私が関わっている組織で声明を出す準備をしているので、また発出されたらお知らせします。今は短く。
今回の決定は、トランス女性を排除するだけでなく、身体の性の多様性を持つ女性も排除します。これは国際大会で長年続けられ、多くの問題から30年ほど前に廃止された制度の復活拡大版です。
このポリシーは何よりもまず、究極のプライバシーである遺伝子情報を全ての女性に提出させ、適切な女性のあり方を監視する女性差別の制度です。負の影響を受けるのは検査対象となる女性全員です。
“差別的”アイヌのパネル展を札幌市はなぜ許可?「歴史を塗る変える」涙し傷つくアイヌ、研究者は「史実を曲解」と批判、主催した団体は…|HBC北海道放送
newsdig.tbs.co.jp/articles/-/2...
3月27日に北海道大学が「北海道大学所在地の先住民族に対する敬意の表明」を公開したとのこと。 www.hokudai.ac.jp/pr/johokokai... 日本語・アイヌ語・英語版が用意されている。北大のキャンパスにある土地は、もともと住んでいた石狩地方のアイヌの人たちを実質的に強制移住させた結果であることに言及がある。
2024年パルムドッグ審査員賞に惹かれてグァン・フー監督『ブラックドッグ』を観た。 klockworx.com/blackdog 動物たちの映像と中国北西部の地方都市やゴビ砂漠の風景が美しい。人と犬とで縄張り争いをしたり、互いの脅威になったりと、どうしたらフェアな関係を築けるか、という問題意識が伝わる映像でとても良かった。人間の主人公が無口なのも言葉を使わない犬と同じようにコミュニケーションをとる姿勢にも見える。つらいシーンもあるのでDoes the Dog Die( www.doesthedogdie.com/media/1642941 )での確認推奨。
ひつじ探偵団日本でも観られて嬉しい
もふもふな“ひつじ”が事件を追う「ひつじ探偵団」公開、主演はヒュー・ジャックマン
natalie.mu/eiga/news/663431
#ひつじ探偵団
Open AIがアメリカ国防総省に技術提供するという報道に接してしばらく考えた結果、Chat GPT Pro の契約を解除しました。アンソロピックのClaudeへの移行を検討しています。AI技術を生活に使用している限りその軍事利用と無縁ではいられませんが、今回のOpen AIの合意文書にある「国防総省は、適用法令、運用上の要件、ならびに確立された安全及び監督手続きと整合する限りにおいて、当該AIシステムをすべての合法的目的のために使用することができる。」 openai.com/index/our-ag... という条項は自律型兵器の操作についても恣意的に解釈でき、利用者として肯定し難いので。
disgusted poorly drawn cat
それと泣き崩れたり弱ったりしない、威厳あるガートルードの演技もよかった。ポローニアス殺害の場面で、ハムレットがガートルードの再婚を非難する場面でも、動揺を全く見せず手厳しい態度。でも、実は息子が自分が関与した陰謀を非難していることに気づくと、主体的に行動を翻す流れになっていた。
ナショナルシアターライブ『ハムレット』(ロバート・ハスティ演出) www.ntlive.jp/hiranhamlet を観てきた。とてもよかった。今まで観た中でもハムレットのキャラクターに一番共感できたかもしれない。セリフだけ取り出すと時代相応にミソジニーっぽいのに演技と演出でこんなに変わるんだなあと。ハムレットからオフィーリアへの「尼寺へ行け」の場面、最初はあくまで恋人へのちょっとした愚痴のような調子で始まるのに、ポローニアの存在に気づいた途端に、策略を感じて傷つき、怒りをあらわにする演出になっていた。一方的な感じがしない。オフィーリアも快活で冗談も言う、現代的なキャラ造形に。
3月5日に開催される包摂的ジェンダー社会学プラットフォーム( pisg.jimdosite.com )第2回研究会の一般参加申し込みをしました。私の背景は哲学なので、社会学のような実証的研究はできないのですが、哲学でもクィア研究の接続をちゃんとしたいですね。東京と大阪の二会場で同時開催とのことで楽しみです。
本書の最終章は石原さんは「本書を読み通した読者はアイヌを取り巻く愚行や偽善や消費をまなざす力を身につけているだろう。アイヌのまなざしも感じているだろう」と述べた上で「共に壊れたものを直し、共に生きるための道を開拓するときを迎えようとしている」と記している。あらためて気付いたが、締めくくりの言葉が「道を開拓」なのである。北海道の近代史で「開拓」という言葉は、日本政府による移住計画と収奪、同化政策をあらわすものだ。これは歴史上負の含みをもつ言葉をどう引き受けていくかという問いかけでもあるようにも思う。
先住民のアイヌに対する日本の人種的多数派を「和人」と呼ぶ語彙も私には馴染みがある言葉だが、必ずしもインタビューに協力した人たちは使用しない。遺骨返還運動に携わってきた木村さんBさんは本書のインタビューで「日本人」や「アイヌ以外の日本人」といった表現を使っている。日本の人種的多数派を表す概念的資源の貧弱さは、多数派の無自覚さの現れそのものであることを感じてしまう。
アイヌの出自を隠していてもアイヌ文化と無縁であっても、和人社会はアイヌをヘイトスピーチやヘイトクライムの対象にし、結婚差別を繰り返しており、それがいまなお植民地支配の秩序が機能していることの証左だという。ウポポイは自死にまで追い込まれる若者の痛みを何も包摂しないという指摘は、自分が見落としているものを考えざるを得なくなる。
タイトル通り、和人による植民地支配とその土台にある社会をどうまなざすかという批評的視点を提示するというコンセプトで編まれたもの。石原さんは日本のアイヌ文化振興法に基づく施作が結局のところ「Food, Fashion, Festival」という、多数派が消費しやすい部分にパッケージ化されていることを度々批判する。「自然との共生」「アニミズム信仰」といったイメージへの収斂は、例えば歴史学者の新井かおりさんのインタビュー(第6章)では自称支援者の研究者でも「アイヌにふれるとスピりだす」と表現されている。
先日アニメ版の『ゴールデンカムイ』5期第6話を見たら、原作の漫画はすでに履修済みだったのに具合が悪くなってしまった。ここ数日整理をつけようと日記に色々書いたものの、結局和人の自分が感傷的な反省文のようなものを書いても何も良くならない感じだけが残った。去年札幌で目を通した石原真衣・村上靖彦『アイヌがまなざす— 痛みの声を聴くとき』(2024、岩波書店)をあちこち読み直した。 www.iwanami.co.jp/book/b646699... 主に北海道の日高地方に住むアイヌの人々へのインタビューで構成されている。主に北海道の日高地方に住むアイヌの人々へのインタビューで構成されている。
浅草寺も、最初行った時は私がこれまで知っている寺より神仏習合的な要素が強く感じられて、場所でここまで雰囲気が変わるんだな…と思った。宗派の違いもあるだろうけどね。