「トランプ大統領を待ち望んでいる」とか言っているインテリがいましたが、そういう「一度壊れた方が良い」などというインテリ特有の議論が、本当に嫌だ。壊れても、そのインテリたちは苦しまない。苦しい思いをするのは、工務店の人とか、工場の従業員とか、小さな波ですぐに飲み込まれてしまう人たち。
あの1月の国会議事堂占拠事件を見れば、あの政権が暴力の政権だって分かるでしょう。「トランプを支持する人たちの気持ちも分かる」という意見は、僕には分からなかった。オープンキャリーで銃を持ち歩き、車でデモの人々に突っ込むようなことをする人たちを支持するような気持ちは全然分からなかった。
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数日前に、地元の工務店の社長さんとお話ししたのだけれど、「悪夢です」とおっしゃっていた。新しい工事の話はできない。見積もりは出せない。計画が立たない。モノがないから発注できない。何もできない。
こんなひどい話はない。
The ceramics industry in Gujarat’s Morbi has been badly hit by fuel crisis, with most units closed and workers laid off.
「映画は映画館で観ないと意味がない」「スマホで見ても映画は映画」── 「何のメディア」を「どんな期待を持って観ているか」は、人によって違うし、同じ人でも状況や気分によって違う。むしろ、この「自分自身の体験に関して考える」というのが思ったよりも難しい。
映画やドラマで描かれる「帰還兵」の問題は、どこか「見世物」的な性格を帯びやすいと思います。『タクシードライバー』のように、実際に従軍したことがない人たちが脚本を書いたり、監督したりしている場合は、どうしてもそういう側面が気になってしまいますね。
www.kinomachina.blog/2016/08/taxi...
私のご先祖の一人は、日露戦争に従軍して、帰って来たときにはトラウマを抱えていたようです。農作業をしているときに突然奇声を挙げたり、奇矯な行動をとったりしていたそうです。村の人々は「ああ、またやってるな」という感じで見ていたと聞きました。でも、村が洪水に襲われた時には非常に冷静に行動して、まだ幼かった私の父を救ったと聞いています。
1970年代以降のベトナム戦争帰還兵の映画のかなりの部分は、この「殺人マシーン」とか「社会の異物」とかというイメージを利用している感じが否めないですね。最も深刻なアルコールや薬物の乱用とか、自殺とかいった問題が取り上げられることはほとんどない。イラク戦争の時だって、ニューヨークタイムズが帰還兵のPTSDの問題をとりあげながら、帰還兵が殺人事件や銃の乱射事件を起こしやすいみたいな印象記事を書いていたけど、アメリカに限って言えば、従軍兵士と一般人のあいだで殺人事件を起こす率はほとんど変わらないという統計もあったはず。やはり受け入れる社会の側の偏見の問題が大きいように思いますね。
確かに、帰還兵の社会への適応が困難だというのが映画やドラマの題材として増えたのはベトナム戦争からだと思います。これはデイブ・グロスマンも書いていますが第二次世界大戦の時の反省から米軍が兵士の訓練法を変えたことで、一般人が兵士たちを「殺人マシーン」ととらえるようになったこと、それからTVがベトナム戦争の戦場の映像を流すようになって、一般人が戦場での兵士たちの行動を目の当たりにしたこと、が大きいと思われます。つまり「あんな人たちが帰ってくる」というイメージが出来上がっちゃったんですね。
www.youtube.com/watch?v=Mxo-...
実際に帰還兵が起こした無差別殺人事件もあります。1949年にニュージャージ州で、ハワード・ウンルーがルガーP08を片手に、わずか12分の「散歩」のあいだに子供3人を含む13人を無差別に射殺したという事件が起きました。ウンルーは元陸軍の戦車兵で優れた射撃の腕前だったと言います。おそらく、彼あたりが、映画やドラマでよく登場する「帰還兵が精神を病んで大量殺人を起こす」という筋書きの原型となったのではないでしょうか。
しかし、この写真、ウンルーが逮捕された時のもので当時の新聞にも掲載されているのですが、ウンルーの蝶ネクタイと警官たちの表情が印象的過ぎる。
『我等の生涯の最良の年(1946)』でも、ダナ・アンドリュース演じる空軍の元パイロットは悪夢にうなされています。この映画を観た、ある空軍の退役軍人は「ひどく動揺した」と手記に書いていました。彼自身、B-17の乗組員で毎晩悪夢にうなされていたからです。この映画は帰還兵のあいだで最も多いアルコール依存症の問題も取り上げています。他のジョン・ウェインやクラーク・ゲーブルが主演の戦争映画が、退役軍人の間で忌避された中で、この映画だけは静かに支持されていたようです。 この予告編がそういう深刻なテーマを微塵も感じさせないところがなんとも。 www.youtube.com/watch?v=X9lu...
スタンリー・クレーマー製作、マーク・ロブソン監督の『Home of the Brave (1949)』も戦争のトラウマを抱えた兵士を題材にした劇映画です。トラウマを抱えている兵士が黒人だという点も、当時としては画期的だったと思います。ただ、やはりフィクションであって、いろんな面で上手く処理され過ぎているとは思います。
archive.org/details/Home...
ただ、第二次世界大戦直後に、この問題に正面から向き合った映画もあります。ジョン・ヒューストン監督の『Let There Be Light (1946)』です。実際にトラウマを抱えた兵士たちのインタビューやセラピーの様子を映し出したドキュメンタリーです。すごい映画なのですが、上映を禁止されてしまいました。
www.youtube.com/watch?v=lQPo...
第二次世界大戦のときも、トラウマを抱えた兵士たちの問題は深刻化しましたが、どこの国もどう向き合っていくのか、やはり無策のままでした。パットン将軍は「シェルショックなど、ユダヤ人がでっち上げたものだ」という二重の意味で間違った発言をし、シェルショックで収容されている兵士を罵ったといわれています。
帰還兵のトラウマの問題は、戦争が機械化された第一次世界大戦の時から認識されていたんですよね。当時はShellshockとか呼ばれていたんですが、映画でも描写されています。G・W・パブストの『西部戦線一九一八年(1930)』のラストは相当きついです。第一次世界大戦のときは身体的な症状が表れている兵士に電気ショックを与えて戦場に送り返すなんてこともしていました。将校以上の軍の指導部はどこの国もこれを「腰抜け」くらいに思っていたのも事実です。
帰還兵の問題自体はベトナム戦争から語られはじめていた記憶。それこそ『ランボー』や『ディア・ハンター』、『帰郷』あたりがベトナム帰還兵とPTSD(と呼ばれるようになる)の作品
兵士のPTSDに関して米国でも語られるようになったのはせいぜい湾岸戦争後?イラク戦争やアフガンの帰還兵のPTSDについては社会に広く知られるようになったけど、WW2の頃なんてそもそもPTSDという概念もなかったし、米国でさえ湾岸戦争後の帰還兵のPTSDは「兵士なのにPTSDなんて(情けない)」みたいな文脈だったのでねえ。そもそも兵士のPTSDでDVなどの被害に遭う家族が気の毒で、家族への救済が足りてない問題がかなりクローズアップされた感がある⊂((・x・))⊃
あまり考えたことのない問題だったけれども、言われてみると、表面化しなかったこと自体がおかしかったような気がしてきた。
「兵士たちのトラウマは、国、病院、兵士、そして銃後の家族らによって何重にも隠され続けたのです」
www.sophia.ac.jp/jpn/article/...
いま、アメリカでは「違法移民」とみなされた人を強制的に居住圏から追い出して国外へ追放するという政策が続けられています。これは、第二次世界大戦後、居住圏をめぐって繰り広げられてきた人種・エスニシティ差別、逃避と隠蔽の歴史とも深く関わっているかもしれません。もう4年も前に書いたものですが、映画『トゥルーマン・ショー』から見直した、白人の居住圏の歴史についての記事です。
「石器時代に戻してやる」なんてひどい言葉だと思われるかもしれませんが、アメリカの将軍たちはなかなか名言を残しています。米ソで核戦争が起きたとき「アメリカ人が2人生き残って、ロシア人が1人生き残ったら、俺たちの勝ち」といったトーマス・パワー将軍という人もいます。
Curtis LeMay
Kilgore
Mackinley Kanter
「石器時代に戻してやる」
これはカーチス・ルメイ将軍が自著のなかでベトナム戦争について使っていた言葉で有名になりました。1965年のことです。大批判を浴びましたね。それをコッポラが『地獄の黙示録』でキルゴア大佐に言わせて、さらに有名になりました。
実は、この言葉の発明者は、ルメイのゴーストライターだったマッキンレー・カンターです。あの『我等の生涯の最良の年(1946)』『拳銃魔(1950)』の原作者です。
そのあたりの経緯を『拳銃魔』のレビューで書いたことがあります。
ご参考までに。
www.random-noir.net/gun-crazy-19...
この右下に写り込んでいるのがダッシン。25万フィート(約46時間)のフィルムを撮影したので、編集で見落としてしまったのだろうか。
『裸の町(The Naked City, 1948)』はほぼ全編ニューヨークでロケーション撮影された画期的な作品で、黒澤明の『野良犬』やフリードキンの『フレンチ・コネクション』に影響を与えたと言われている。しかし『裸の町』の撮影の話を読むと、ロケーション撮影を欲張りすぎて(全部で108ヵ所で撮影している)、かなりハチャメチャだったようだ。その結果、あるシーンで監督のジュールズ・ダッシンが偶然写り込んでしまっているのに、それがそのまま本編に使われてしまった。さあ、どこでしょう。
note の連載を更新しました。
4,000字。今回は1970年に起きた「三島事件」を皮切りとして書きました。昨日の事件とも微妙なシンクロ感があります。
note.com/yukawashizuk...
Murderous Ink さんがブログで紹介されていた『殺人者 (the killers) 』のシオドマク監督版を視聴しました。
www.kinomachina.blog/2026/02/intr...
Rocky Graziano 1949
Traveling saleswoman 1949
Chicago -- city of contrasts
University of Michigan 1949
米国国会図書館のサイトで、スタンリー・キューブリックが雑誌『ルック』のフォトグラファーだった頃の写真が一部見れるようになっている。どれも素晴らしい。これからもっと公開されるのかな。掲載されないだろうけど、自分の好みで撮った写真もかなりあるというから、ぜひ見てみたい。
www.loc.gov/collections/...
ハリウッド・フィルム・ノワールを追う「FILM NOIR REVIEW 暗黒映画批評」ですが、第2巻を通販で頒布中です。
この第2巻で取り上げた10本の映画を38秒で紹介します。
この印象的な映像を撮った撮影監督たちは
らせん階段(ニコラス・ムスラカ)
ギルダ(ルドルフ・マテ)
暁の死線(ニコラス・ムスラカ)
青い戦慄(ライオネル・リンドン)
記憶の代償(ノーバート・ブロディン)
黒い天使(ポール・イヴァノ)
殺人者(エルウッド・ブレデル)
真昼の暴動(ウィリアム・H・ダニエルズ)
十字砲火(J・ロイ・ハント)
死の接吻(ノーバート・ブロディン)
です。