まったく覚えていないひとたちとの同窓会に出席する夢をみた。そこで、わたしと相思相愛だったひとから挨拶されるが、そのひともまったく覚えていない。恐ろしい。 なにが? 相思相愛が。
Posts by 井上 瑞貴
甘いパンを食べる、みんなに配って回りたいほどのおいしさだ
「SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS」、このwikiもおもしろかった。クリストファー・ノーランの映画『TENET』のよくわからない筋をしらべていてたどり着いた。これを5文字×5文字のワード・スクエアにすれば「右上から横向き、右上から下向き、左下から右向き、左下から上向きのいずれの読み方でも同じ文章になり、180度回転させても同じになる。」
「錯聴」のwikiにはこうある。形而上学的な洞察をふくむ、すぐれた記述だと思う。
「錯聴(さくちょう、英: auditory illusion)とは、音や外部の刺激に対して誤った知覚を得てしまう現象である。耳で起きる、目の錯覚に相当するものとされている。聴取者は刺激内に存在しない音や、状況的に聴こえるはずのない音を知覚する。錯聴は人間の耳と脳が完全な音声受容組織ではないことを明らかにしている。これは人間が現実には鳴っていない音を聴き、その音に反応できることを示している。」
「見上げると中天に月が見えた」という一文が印象に残った、名も知らぬウェブ小説
かならずどこかで雨が降っている
ああ、コーヒーがうまい、そういう一瞬、流れ去り、けっして蓄積しない一瞬の連続が「生きる」ということの意味なのだとふとおもう
天と地の間には多くがある、ホレーショよ
シェークスピア
気づけば、気づかなくても、8月だった
いつでも裏切っていて裏切られている、”わたし”と呼んでいる誰かが、”わたし”と呼ばれている誰かに
なのですが、『本当の小説』はまったく小説ではなく、自伝なのでした
あなたは一度も「本当の小説」を書いたことがない、と言われつづけたフィリップ・ソレルスが、はじめて「本当の小説」を書いたのである。その本のタイトルが『本当の小説』なのです
鐘をたたく雨音が嫌いだが、聞いたことはない
洗濯でもするか、洗剤能力で
芥川賞とH氏賞をりょうほうとっている詩人は他に三木卓がいるが、かれの詩は、いかにも小説家が書く詩、といった感じだった。『野いばらの衣』という作品をぜひ読んでほしい、ぜひ
清岡卓行の芥川賞受賞作『アカシアの大連』というのはいかにも詩人が書く小説といったイメージそのものだったが、えんえんと、わたしの妻は美しかった、とつづられている。喪失、というより、もっとも愛に近くいるものはつねに不在者だったのである
ぼくは いつまで
こんな都会の片隅を愛するのだろうか?
ー清岡卓行「早春」四季のスケッチ
東京のとある路上で、ある少女が私の目の前にやってくると、とつぜん私の「丘の零度」という詩を暗唱し始めた。それが幼少時のさいかさんだった。その父親はいくつもの深い空白をわたしたちに残して去った。ご冥福をお祈りします。
昨夜は小雨で路上には薄い靄がかかっていた。靄を割って車を走らせながら『世にも怪奇な物語』の第3話「悪魔の首飾り」を思い出し恐怖に竦んだ。
近くにいる猫が鳴いているというより、鳴いている猫が近くにいる
突然ポーの一族のはるかな国の花や小鳥を思い出してしまい仕事が中断した。行き先のある花はいい‥‥
一愚さんから突然の電話。余命一か月から数年にわたって生死を繰り返しているらしい。宗教の話をした。嘘つき呼ばわりした過去を責められもした。まったく覚えていないことだったけど。話して楽しい友人はいいねとおもう
久しぶり、と言いながらだれなのか思い出せないことが頻発する。ひとは出会っていない人とも別れることができるどころか、別れていない人と別れてしまっていることがたたあるようだ
夢ある限りわたしは目覚めず
夢ある限りわたしは眠れない
雨か、いや雪だった、雪か、いや雨だった
死は、ぜんぜん怖くない時もあれば、とてつもなく怖いときもある。思い出次第だ
みんなの月曜日は休日ですね、三日前に知りました
最近の手術の麻酔の効き方は半端ない。クライムサスペンスドラマの気絶シーンのごとく1秒で気をうしなう。睡眠薬などやめて麻酔薬をもとめるべきだろう
久しぶりに外を見たら雪が積もっているじゃないか