100分de名著のウィトゲンシュタイン3回目
ちょっと物足りない内容で、単に体験主義的ではないかという誤解を招くような小さい話になっていた。AIの話を省いてもう少し詳細化してくれてもよかったのになあ。
伊集院光さんのコメントはいらんかなあ。
Posts by bauzer
デヴィッド・グレーバー 『民主主義の非西洋起源について』 読了
「つまり伝統とは、自らをでっちあげていく絶え間ないプロセスなのだ」
古代ギリシャであるという単線的な民主主義西洋起源説に対し、イスラーム文化やアフリカ、中国、アメリカ先住民族などおよびそれらとの交流を例示し、合意形成の様式というものを相対化する。「民主主義とは」という問いに対して「(西洋的)」という暗黙の修飾を棄却し再定義を行っている。
グレーバーはアナーキーにヒントを見ているが、そこが目指す水平的構造はどのスケールまで適用可能なのか、垂直的構造を完全に排除できるのかという点に疑義はある。
児島 青 『本なら売るほど 3』 読了
サン=テグジュペリ『星の王子さま』の話はよかったなあ
岡書房のおやっさんとの話も、おまけのオチも含めてよかったなあ
もりぐちあきら 『やめろ好きになってしまう 3』 読了
厳木妹「のろけ界の名誉総裁」
これっすね
100分de名著 ウィトゲンシュタインを見ているのだが、非言語コミュニケーションについてはどのように扱っていたのか知りたくなった
タカノンノ 『推し殺す 4巻(完)』 読了
当巻で完結となり、タイトルをどう回収するのか、「推し殺す」というプライベートな閉鎖的空間のからの解放というものが期待されたのだが、その期待を持ちつつも、ほんの夢の途中といった程度で幕を閉じることになった。唐突な感じもしないわけではないが、大森卓が救われる話ではあったのでそこはよかった。
NHK「こころの時代」の『星の王子さま』回を観た
その作品がいつ書かれたのか、という時代性の話は必ずついて回るのだが、星の王子さまが現代においても広く受け入れられている理由は何かという視点の一つとして、宗教的解釈は必要だろうと思いつつ観ていた。
番組の趣旨的にも歴史的背景や宗教的解釈の側面からの掘り下げであったが、人間の根幹にあるもの(それを理性と呼ぶのか道徳と呼ぶのか倫理と呼ぶのかはわからないが)に深く根差している物語だからこそ、時代性や宗教を超えた支持があるのだろうというぼんやりとした感想を抱いた。
センは図書館で借りているんだけど、手元に置きたくて購入した
街に出て本を買ってきた
アマルティア・セン 『正義のアイデア』
デヴィッド・グレーバー 『民主主義の非西洋起源について』
小川 糸『椿ノ恋文』
『黒岩メダカに私の可愛いが通じない』を読んでいる理由がわからなくなってきた
博多阪急の「珈琲舎のだ」でサントスを飲んだ
お気軽に行ける店ではないけどおいしかったな
自分で淹れる珈琲がへぼすぎて、もっと精進せねば
関門海峡の壁はいつ崩壊しますか?
免許更新終わったら
なんか裸眼で見えた
今日は免許更新に行ってくる
眼鏡デビュー初日となる
図書館への道すがら
今日はお休みを取っているので図書館に本を返却しに行く
今年に入って急に残りの読書人生の短さに気づいて、読書量増えたが特別早く読めるわけでもないので絶望は言い過ぎだとしても時間が足りない
ハンナ・アーレント 『活動的生』 読了
アーレントが理想とした「公的領域」の輝きのようなものがわからないわけではないが、後世に残った偉人の記述に拠り過ぎていて、見知らぬものへの憧憬に堕ちている部分があるように感じた。
背後に特権階級の特権たる所以や記述から漏れた膨大な生の搾取を意図的に無視しており、ある意味優生思想を感じる部分があった。このあたり西洋史観の枠組みが生む限界、リベラルが受け入れられない理由が見え隠れする。
現代の複雑な文明や思想の衝突を考えると、彼女のような二元論や切り捨てはもはや通用しないのかなとも思う。不確実で複雑な現実をそのまま受け入れる耐性が必要なんだろう。
原始仏教やインド哲学あたりの興味が強く、西洋思想や西洋哲学を前にすると論旨は理解できるんだけど納得できない部分も多々あって、このあたりに自分の限界を感じてつらい
筆記具にぺんてるのフローチューンは謳い文句どおりの書き心地
難があるとすれば
1. インクがダマになることがある
2. 書き続けているとペンのネジが緩む
1は紙質にもよる感じで、吸水性の低い紙の場合にダマになりがち
2は筆圧強いせいかもしれない
一穂ミチ 『スモールワールズ』 読了
欠落の物語の短編集。玉と瑕であれば瑕、小さな魚を比喩として我々が生きる閉じた関係性での世界が描かれる。
ストーリーの内部と外部で「見えないものが見える」という構造となっている。「花うた」の手紙のやり取りなどはそこに描かれていない世界が見えてしまう。
どの短編も私の心を抉ってくる。
よい作家に出会えた。
ジョセフ・E・スティグリッツ 『スティグリッツ 資本主義と自由』 読了
スティグリッツの抱く新自由主義の弊害と問題意識は共感できることが多い。ただ理性の信奉に偏っていて、現代の感情の政治や国際秩序の断片化という現実からみると具体性を欠く理想論にも感じる。
リベラルの限界を見た気もする。
論理的な正しさをいかに共感の物語として再構築し、取り残された層に届けることが必要なのかなと感じた。
別の本を読んでいたけど気分転換によねぽ読みだしたら最後まで一気に読んでしまうあるある。
米澤穂信 『栞と噓の季節』読了
図書委員シリーズは重ねられた小さな嘘、語られていないことを少しずつ紐解いていくところが魅力。台詞の一つ一つに「何が隠されているんだろう」と考えながら読んでしまう。
瀬野さんと櫛塚さんの関係に桜庭一樹の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』をみた。堀川と松倉の関係は不確実だけれども一定の信頼関係があり、瀬野さんと櫛塚さんとの関係にある信頼関係の対比があってこそのこの結末なのだろう。
難があるとすれば横瀬が毒を盛られたとかその後の保健室の状況から行政機関が動かないところ。本筋に影響するのでそうしたのだろう。学内という閉鎖空間を作るためのフィクションの範疇ではある。
お風呂ですぅちゃん見れなかった
マイケル・サンデル 『リベラリズムと正義の限界』 読了
ロールズの『正義論』に対し、そんな人間は存在するのかを突き付けている。一方でサンデルにおいても熟議が可能となる成熟した市民もまた存在しうるのかという問いが浮かぶ。
このことは私に「政治哲学において具体論が描けない理論に価値があるのか」という命題を投げかけられたようにも思う。
サンデルはコミュニタリアンと言われるが、本書を読む限りにおいては共和主義的ではないかと感じた。
雁木 万里 『妹は知っている(6)』
フルパが機微を読み取れるだけでなく、静かな行動力を持っていることで、彼に関わる人たちが静かに救われていくなあ
世代がね