印刷された本の本文の体裁で画像化されたテキストです。 以下は本文の内容です。 アベンチュリンという男は意外と怒ることがない。それは彼が普段から「余裕のある、不敵な勝負師」を演じているからか。いつだって余裕を含む笑みを浮かべ、どのような異変が起きようとも「はは、面白い。いいじゃないか、こういうハプニングがあった方がゲームは盛り上がる!」と高らかに謳い、少しの綻びも見せやしない。そういった大胆不敵で肝の据わったところが、人々に恐怖を感じさせるのである。 アベンチュリンはリスク愛好家と言われる程度にはハイリスクな作戦を好む。特に顕著なのはピノコニー潜入時に打った手だろう。彼はジェイドの基石をサンデーの元に送り届けるため、自らの基石を砕いた。その結果あわや石心の地位剥奪――なおカンパニーの死刑囚である彼にとってそれはただの降格、クビではない。無期限延期されていた刑の執行、つまり死を意味する――といった事態に陥ったが、どうも地母神の加護は未だ途切れることがないらしい。結局アベンチュリンは欠けのない基石を手に、再び石心として東奔西走することが許されてしまったのであった。そんな「幸運」の持ち主であり、自分自身の価値を低く見積もる彼はとにかく自身の身を危険に晒すような作戦を実行しがちである。それ故にアベンチュリンのチームは一般社員から人気が高いとは言えない。だが、アベンチュリンは別に傍若無人な上司ではないのだ。彼の無茶は基本的に彼自身にのみ適用され、部下に異様な高リスクを背負わせることはない。それどころか部下がミスをしても怒ることなく「ああ、僕が何とかするよ。何とかなるだろうからね」と笑顔で許してくれるくらいだ。それ故に、アベンチュリンの部下は「無茶するし滅茶苦茶だけど割といい上司ではあるんだよな、長く働きたいとは思えないけど……」と複雑な評価をすることが多かったりする。 アベンチュリンは滅多に怒らない。それは彼の戦略的パートナーとして何度も同じ現場に向かわされている学者、ベリタス・レイシオの認識でもあった。なおレイシオにとってそれは美点ではなくむしろ欠点の一つである。彼の他人に怒らない、怒りを覚えないという特徴は、彼が他人を信頼していないこと、彼が自身を尊重しないことに通じているからである。だからレイシオは根気強く、アベンチュリンを教導していくつもりであった。そう生きるしかなかった彼が、前向きに死へ向かおうとしている彼が、より良い生き方を選択できるように。 そんなレイシオにとって、今のこれは想定外の出来事だった。エヴィキン人独特の虹彩がレイシオを映している。そこに宿る色は、怒り。仮にレイシオがとんでもなく鈍い男だったとしても理解できてしまうくらいには、色濃い怒りに染まっていた。 「レイシオ」 声もまた鋭い。普段のアベンチュリンはどこか軽薄な調子で喋る男だが、今の彼は低く、唸るような声でレイシオを呼んでいた。アティニークジャクのようだと揶揄されたおしゃべり癖は出番ではないらしい。静かに、熱い。普段とはギャップのある姿だが、レイシオがそれに動揺することはなかった。
つい先日、アベンチュリンはレイシオを伴ってとある辺境の星へと向かった。友人同士の気安いお出かけなどではなく、れっきとした仕事である。ちゃんと経費が出るお仕事だった。 博識学会の学者であり、第一真理大学の教授であり、カンパニーの技術顧問であり、階差宇宙という新たな模擬宇宙の共同開発者(本人はそこまでではないと言うが)であるレイシオはアベンチュリンに負けず劣らず多忙な身だ。星穹列車の面々とも、メッセージでの会話はよくするものの実際に会うことはそう多くない。今や開拓者に「そろそろ列車に来れない? 一年以上会ってない気がするんだけど」と催促されているくらいである(実際は折り紙大学などで会っているはずなのだが、何故か開拓者は「そうじゃないんだよな~」と否定していた)。それだけ多忙なレイシオを引っ張って来られたのは、アベンチュリンの運の良さと地位、それとこれまでの実績のおかげだ。これまで多くの功績をあげてきた高級幹部が「教授とだったらスムーズにいくと思うんだけどなー。教授がいないなら色々と遊んでしまうけれど、それでもいいのなら一人でもまあ? いいけれど?」と緩く脅しをかけていたのだ。レイシオは、アベンチュリンがいつか何かしらのハラスメントで訴えられる心配をしていた。 そんないつも通りのわがままもとい依頼から始まった共同任務は無事に終わった、と言いたいところだった。スターピースカンパニーはこの銀河一の企業だが、その分敵も多い。特に市場開拓部の過激なやり方に、戦略投資部の『債権回収』、技術開発部による様々な『開発』などは多くの恨みを買っている。それ故に交渉、債権回収は難航し、最終的に武力衝突に発展した。だがそれもまたよくあることである。そこまではよくあることだった。 何故アベンチュリンが怒っているのか。残念なことにレイシオはその原因がわからずにいる。今のアベンチュリンは怒っている、かなり怒っている。ピノコニーでレイシオがアベンチュリンの情報を渡したと判明した時よりも怒っている。そこまで怒るようなことがあったのか。レイシオにはわからない。何せ、いつもと同じように暴れる患者達にチョークを投げ続けただけだったので。 「君、本当にわかってないんだね」 「……何をだ。話す時は目的語をつけること。君、まさか部下に対してもそのような口の利き方をしているわけではないだろうな」 「……はぁ。折れそうになるよ。まあ諦めてなんてやらないけどさ……」 アベンチュリンががっくりと項垂れたかと思えばそんなことを呟く。だがレイシオにすれば意味不明な独り言でしかない。相変わらずこいつは人とまともに会話する気がないのだろうか、そう呆れるばかりであった。今、目に見えて呆れているのはアベンチュリンの方だったが。 「レイシオ。君、一歩間違えれば危ないところだったって自覚はあるかい?」
「…………」 確かに、レイシオであれば問題なく捌けただろう。レイシオの投げるチョークはただのチョークにあらず、ありとあらゆる愚鈍を貫き真理を突き刺すメスである。その白は防具を凹ませるし、銃弾も弾く。だが、彼が持つのはあくまでも武器。防具はないというストロングスタイルである。 だからこそ、アベンチュリンはレイシオにひどく気を配っていた。レイシオが傷つかないように、レイシオが傷つけられないように。巡狩の運命を歩む者らしい彼の動きに対応できるシールダーなど自分くらいだろう、そう思っても否定されない高難易度の仕事をやり遂げたわけである。だがレイシオは言うのだ。 「……『僕の心配はしなくていい。それよりも自分の心配をしろ』か」 アベンチュリンが手を伸ばす。その左手は、長らく氷水に漬かっていたかと錯覚するくらいに冷えていた。 「今の僕は、君が無事だって安心できないと自分の心配もできないんだ」 「…………」 レイシオの眉間に皺が刻まれる。アベンチュリンもこれでレイシオが「えっ……」と頬を赤らめたり表情を緩めたりするわけがないと予測していたが、それはそれとして怪訝そうな反応には落ち込みたくなるものである。アベンチュリンは負けじとレイシオを睨み、息を吐いた。 「レイシオ。僕にとっての君は、君が思っている以上に大きな存在なんだ。それをいい加減理解してほしい」 「……僕は、カンパニーから見た場合君の戦略的パートナーで、僕にとっては一介の教師、のようなものだ」 「残念、僕からの視点が抜けているね。わざとかい?」 密かに動いていたアベンチュリンの手が、ついにレイシオの手を絡めとった。賽を転がし、チップを巻き上げる神に愛された手は、強くレイシオの手を握る。まるで、縋っているようだった。震えを抑えるために力を入れているようでもあった。 「僕にとっては真面目で、優しくて、厳しくて、強くて賢くてとても頼りになって……目を離したらどこかに行ってしまう、大事にしたい人だ」 「…………」 「ねえ、レイシオ」 アベンチュリンがレイシオの手を自らの頬に寄せる。ひくり、指が戸惑うように動いたものの強引に振り払われることはなかった。 「わかって。それから、受け入れて。僕を大事にしてくれると言うのなら、僕に守らせて」 「………………」 「……レイシオ」 それはきっと、アベンチュリンの理想からは程遠い。子どものように、子犬のように、甘えるように上目遣いで懇願する。そういったあざとい表情で訴える手は、きっとアベンチュリン
の本意ではないだろう。だが、アベンチュリンという男は強かで貪欲だ。本当に欲しいもののためならば手段は選ばない。それが、六十タガンバから成り上がった男の生き方なのだ。 そしてレイシオは、表情こそかわいらしい、庇護欲を煽るものだとしてもそれが油断ならないことを理解している。まるでほんの少しだけ許してと言っているようだが、相手はあのアベンチュリンだ。一瞬でも、一寸でも、付け入る隙を与えてしまえば終わりである。だからうっかり騙されて軽率に頷いてしまうなんてことはあってはならない。ならないのだが。 「…………」 「……レイシオ」 「……君が」 「うん」 「……僕を破滅するための理由にしないのなら」 「はは。そんなひどいことするわけないだろう?」 僕は僕のために勝ち続けるって決めてるんだから。そう目を細めたアベンチュリンに、レイシオは「なら、いい」と目を伏せる。軽率な答えなどではない。しっかりと、覚悟を決めた上での返答だった。
アベンシオ 付き合う