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Posts by 灰になるsyntax

私は他者との関係において、最終的に欲望するもののひとつに沈黙できることがあるただしそれは単に何も話さない状態ではなく、沈黙をコミュニケーションとして機能させられているかどうかだと思う

1 month ago 0 0 0 0

意味を通過させるだけで留めない、そういう主体の厚くならない感じはとても好みだ そのような空洞的な誰かの中に沈殿してしまいたい

1 month ago 0 0 0 0

人の顔は最も人間的で、最も無防備に見え、最も直接的にこちらに向く現象は魅惑で同時に侵襲的だが、そもそも相手がそれで不安定になる余地があると、相手を傷つけないか相手は大丈夫かという方向に思考が回るので面白くなくなる

1 month ago 0 0 0 0
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2 months ago 0 0 0 0
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クリーチャーの栄養摂取できて生き返った:)))

2 months ago 0 0 1 0

もし結婚したとしても、おそらくそれは愛の完成にもならず、生の充足にも決してならないだろう
逆に言えば、生活を回すための形式や思考を続けるための仮の器として結婚を選択するのは可能であるけれど、それらが許容される関係もまた珍しいものだと思う

2 months ago 0 0 0 0

自分は生について、露出や裂けや非生産と読む感度が高いから、結婚という安定装置や制度の延命が絶対に向いてない
思想と生活が噛み合わなさすぎることに違和感があるし、そもそも結婚や家庭への欲望が立ち上がらないし、向いている回路が違うと感じる

2 months ago 0 0 1 0

触れたくないものに触れるからおもろい
これは単に理性的な議論の共有なのだから、私たちの関係の安定性は保たれるよねって顔されると萎える
でも私も最初から深い共有は難しいと思った時は、その限界を前提に徹底して安全圏的に振る舞うことがある

2 months ago 0 0 0 0

思想の共有っていうのはあくまで手段であって目的じゃないんだよな
その場で身体的な反応や、危険性・偶発性・緊張感を伴うら関わりの現前があるからこそ思想は面白くなるのであって、ただの情報交換ってくっそつまらん

2 months ago 0 0 1 0
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私が他者と接するときの問いはいつも
それで世界はどう変わった?というもの
選択肢は増えたのか減ったのか、沈黙は重さになるのか静けさになるのか
説明や配慮は必要か自由か、距離が近づいても壊れないか離れると固まるか
そうしたことの総合された状態を、私は他者との関係における世界としている気がする

2 months ago 0 0 0 0

こうやって孤立極めていくの死ぬわw

2 months ago 0 0 0 0

ここでは、なぜそんなに世界を雑に扱えるのって違和感がどうしても出てきてしまうけれど、それは相手に求めることでは決して無いし、、

2 months ago 0 0 0 0

この厄介さは多分世界をどう単位化してるかの違いだとおもう
相手は傷ついた傷ついていない、わかってもらえたもらえてないとか、心理や意図や感情を単位に世界を見ていて、自分は可動域とか配置を単位にしているので、何が問題かも、ケアも全てがズレていってしまう

2 months ago 0 0 1 0

人と会話する時、相手の配置を壊さないということを無意識的にずっとやってるけど、厄介なのはこの感覚は誰とでも共有できることでないってこと

2 months ago 0 0 1 0

私が人に対して誠実じゃないと思う時、配置に手を入れているのに、その影響範囲を感知していない状態のことを指している気がする
他者がいま開かれているのか、閉じているのかとか、世界を少し開いたか、それとも知らないうちに閉じたかとか、、そういう世界の取り扱いの違いの差に困惑することがある

2 months ago 0 0 0 0

不誠実さって、嘘をつくとか、利用するとか、冷たいとかではないと感じてしまうんだよな こういう類のことは、ただの態度問題で世界構造に直接触れていないから何も思わない

2 months ago 0 0 1 0

crushed by sensation, neither pleasure nor pain, just the urge to wipe. pleasure drifts afterward, a byproduct never meant to be the center.

2 months ago 0 0 0 0

to be unmade by something

hazy high
Hazy H.igh
hazy high

2 months ago 0 0 0 0
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そういう性質を身体で解っていても、欲動を満たしてみたいと心は思うわけだが、多分これは実験への欲望に近いものだと思う
満たすことが終止符なのではなくて、その空洞がどこまで強度を受け取れるのかを見たいと思う

2 months ago 0 0 0 0

欲動というものの、満たすものではなくそれ自体が回転を許す空洞であるという構造について、身に染みて承知している
それは満たされる必要がなければ、消えることもなく、またこれから先回転の仕方が変わったりするんだろう

2 months ago 0 0 1 0

代わりに自己に立ち上がるものは、身体がどこで反応するのか、他者はどの距離で現れるのか、言語がどこで滑ってどこで沈黙するかみたいなことをただ察知する機能だけ

2 months ago 0 0 0 0

自己の中の問題が失効すると、内省はほぼ意味を持たなくなる
私はどうなっているのかではなく、何がどう配置されているのかという問いの切り替えがおきる

2 months ago 0 0 1 0

ヘルヴァボス見始めたらみんなが愛おしすぎてやびーうちもインプシティで暮らしたい!

2 months ago 0 0 0 0

つまり自己の葛藤について、私はこれらを克服したのではなく、乗り越えた解決したという感触のないまま、問題を克服する必要がなくなったと記述するほうが近い
自己が課題として自分に現れる距離がなくなることみたいな

2 months ago 0 0 0 0

自己の問題を取り上げて、それを乗り越えようとする語りって、フロイト以降の心理学の近代的、治癒的なフレーム、そういうひとつの制度化された語りなんだろうと思う
一般的に人には葛藤があるが、自己はそもそも所有できるものでないとするなら自己の問題という言い方はズレるし、問題というのはそもそも内面にあるんじゃなくて生がどんな形式に捕獲されているかのほうにある気がする

2 months ago 0 0 1 0

人と会話する時、ただ自分にはこう見えるという記述的な言葉が、自分は言っていないのに、相手が受け取る際に規範判断に読まれてしまう現象まじでめんどいな 倫理的な含意をわざわざ付与しなくても話進んで欲しいわ、、

2 months ago 0 0 0 0

また美しいことに心地よさがあるように、恐怖や不穏の中にも、同じ種類の心地よさが存在する
このように書くと、美/醜、快/不快といった価値の極性をわざわざ対比しているように見えてしまうののだけど、美が生を肯定すふことと、主体が崩れてしまう可能性を孕んだ恐怖や不穏とのあいだに、非対称性は存在しない
調和や肯定の側に存在の強度が現れることもあれば、それと同じ強度が、主体の安定しない領域に現れることもある

2 months ago 0 0 0 0

こんなふうに過去を反復する必要はないが配置を書いておきたかった
ただ途中で文字にするの飽きちゃった
人が美を語る楽しむ以前に、ただ静かに美しいという状態を感じる人もいるが、それでも自分にとっては薄い膜越しに届くことがあると言いたかった

2 months ago 0 0 1 0
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ある時から映画や音楽や芸術が世界として現前し、その現前が情動として身体を揺さぶり、主体を肯定的に包み込む装置として作用する回路が失われた
今いま残っているのは、私の配置から物事を見たとき、なにかすべてが脱落した場所で、それでもなお生は何に接続しうるのかという問いのなかで、作品と共鳴するその感触のだけなような気がする

3 months ago 0 0 1 0

美というのは、対象がありそれを受け取る主体がいて、その関係が安定してやっと成り立つ 主体が崩れ対象さえ崩れてしまえば、美が成立する場所も失われる
そいうふうに感じるようになってから、美しいということは、肯定でも救済でもなく、ただ美しいという状態であるという事実に過ぎなくなった

3 months ago 0 0 1 0