かわいすぎてウゥーッて胸が苦しくなるもの→モンガー、ミニドラ、アシマリ、うすチュウ、R2-D2、オリビア・フラバーシャム、チャロ、ポチャッコ、∀ガンダム
Posts by ⊹
これらの生の否定、生を支えるものへの信の揺らぎの感覚を通して、彼らの暴力はわたしをこの世界で生きることから押し出そうとする、そうした苦痛がこの二年半、ずっと張り付いてきた、彼らがパレスチナ人、そしていまはさらにイラン人やレバノン人を、そのフレームの外に置いて、工事のように彼らを殺すのを見て、再びその感覚を抱いている、そうした感覚を人間に抱かせるもの、彼ら西洋が自ら作り上げてきた文明そのものにも見えるシステムに支えられながら行っていることは、それこそが文明と呼ばれるものの破壊なのだと思う
パレスチナ人の命の成立条件、つまり命が命として認識される可能性や人々の生を支えるインフラ、家族や共同体などの関係性、そして彼らの身体そのものがこのように簡単に破壊されるとき、お前の命の成立条件も同様にあやうく、お前の生もこのようにして否定することができる、と言われているように感じる、傷つけることが許されない、命としてカウントされる、哀悼すべき命とそうでない命が、国家権力や経済システム、ソフトパワーによって作り上げられるフレームによって分別されるのを目の当たりにするとき、わたしの生を支えるものに対する信が揺らぐ
イスラエル国民によるパレスチナ人の虐殺が全世界で報道されるようになってからこの二年半で、以前にも増して抑うつ的になり、希死念慮を抱くことが増えた、それはこの虐殺が、パレスチナ人を含むこの地上に生きる全ての生命の成立条件そのものに対する破壊行為であるように感じられるからだと思う
信じ難い非道に対して持てる言葉が分からなくなり、混乱してしまってClaudeを相手に話をしていた、全ての個別の死や苦しみに対して嘆き哀悼する、その対象を恣意的に分別しフレーミングする力を拒絶する、そのための言葉を持ち、その言葉を発語することにこの身体を使う
claude.ai/share/372244...
みな一緒に地獄を凌ごうぜ。困ってる人を助けながら。
みなさんはすごく、おれはカスである
飲み会の幹事になってしまいサマーウォーズのババアくらい電話した
太古の昔に人間がポケモンたちを使役して戦争していたというバックストーリーを踏まえての本編なので、そのような問いを見出して回答することはストーリーこそが要請するものだったかもしれない
ポケモンやってると、ハラウェイの『伴侶種宣言』をちゃんと読もう…という気になる、今回のポケモン新作は、ポケモンバトルというゲームシステムが避け難く抱えてしまう、それは人間がポケモンを使役して戦わせることではないのか、ポケモンを隷属させることではないのか、といった倫理的危うさみたいなものに対して、そうではなく、ポケモンという種と人間が共在し関係性を結ぶに当たってそれはこのように必要なのだという一次回答を提示するものになっていてよかった、ハード側が進化して物語やポケモンたちの環世界、バトルシステムが複雑に作り込めるようになって可能になったことでもあるかもしれない
ポケモン生態系の中で物語を語ろうとすると必然的にポケモンと人間の共在を軸に視点を構築していくことになるが、そういう生態系における大人物は当然ながら皆ポケモンと共にあることを極め過ぎており、結果として半分ポケモンみたいになっているので、こちら側から見ると異常ということなんだろうな、クリア後のスタッフロールでキャラクターが次々と映されるのとかは、余韻がありつつもやっぱり破天荒たちの狂い咲き走馬灯だ…って思う
ポケモンの新作まだずっとやってる、ポケモンがSwitchソフトになって以降はグラフィックの進化のおかげで画面も映画みたいにデコレートされて、キャラクターとストーリーが一層際立つようになった(それと引き換えに以前あった描画とメモリの制限から来る余白のようなものは少し失われた)けど、それぞれ皆あまりにもキャラ立ちがすごいので最近はストーリークリアした後はいつも、やべー奴らがポケモンと共に狂い咲いている傍を通り過ぎてきた…みたいな心地になる
ポケモンの新作をずっとやっています、今作は過去作の続編で、フランスのような地方の中でパリをモデルにしていた街が舞台なのだけど、物語に関わり始めるプレイヤーに対してキーパーソンが冒頭、意味ありげに言う「街の声を聴きなさい」という言葉に「映画だ」と思いました、そのあとしばらくして、なんとなく街中を歩行の速度で当てもなく移動していたら、そばを通る時に吹き出しで現れるNPCのなんでもない台詞がちゃんと認識できて、皆がそれぞれ何かを話していることと、自分がそのそばを通り過ぎながら、街そのものの声を聴いているような心地になっていることにちょっと愛おしさを感じたりしています
注意欠陥すぎて長谷川あかり先生のレシピなのに失敗して泣ロタ(さんまの酒蒸し:さんまを半分に切り忘れる、蒸すときに火を弱め忘れて焦がす、火を止めて蒸らすのを忘れる、ごま油をかけるタイミングを間違える)
わしやないかい
左下に見えているのは、∀ガンダムとFLATです、その他にも、パパンダとコパンダ、モラン、フィリフヨンカ、ヘムル署長、トフスランとビフスラン、ミッフィーとスナッフィー、イッカネズミなどがいます
認知症になった祖母に1年くらい会いに行けておらず、早く会いに行かなければならない、祖母の抱えているわたしの記憶がもう明日には消えているかもしれないし、一日も無駄にできないはずなのに、と思って後悔や焦燥感だけが募っていくのだけど、身体の機能を次々と失いながら死に限りなく近づいていく老人の一年はその変化の目まぐるしさから、わたしたちからすれば非常に短く見えるのだということ、そのような意味で人は老いて赤ん坊に戻っていくのだということを、ようやく体感したような気がする
「委員会は、イスラエルの政治指導者および軍指導者による行為が『イスラエル国家に帰属する』と主張。そのためイスラエル国家が、『ジェノサイドを防止することに失敗した責任、ジェノサイドを実行した責任、そしてジェノサイドを処罰することに失敗した責任を負う』のだとしている。」
「また、他のすべての国がジェノサイド条約の下で『ジェノサイドという犯罪を防止し、処罰する』即時の義務を負っていると警告した。委員会は、各国がその義務を果たさない場合、『共犯となる可能性がある』と述べている。」
www.bbc.com/japanese/art...
自分を大切にすること(=セルフケア)と、家事や美容を直結させるようなことを言い出した人間の罪は重いと思う、それがもたらした救いよりも呪いの方が遥かに大きいように思うし、そもそもそれらは本当の意味で自分を大切にするように生きることにしたときに生じる副産物のようなものでしかないのではないか
精神が荒廃しているというより、心身ともに生物としての機能を停止してただ小さく転がっているだけの存在に成り果てた結果、休日にほぼベッドとソファの上から動けず非常に悲しくなっていたのですが、テレビでやっている狂言に合わせて腹太鼓叩いてたら少し良くなりました
スーパー右翼本部のテロップの力強さでやっぱりみんな笑うけど、個人的には三島由紀夫みたいなスーパー右翼の国防挺身隊隊長がバックブリーカー砦の魔墓呂死特攻隊アジトに君が代歌いながら登場してきたときに、何だよ日の丸チンドン屋〜って言われるのが一番面白いと思う
AKIRAって結構狂い咲きサンダーロードだな
その許可や口実は「治安」や「手取り」や「自衛」や「人口」や「食糧」などの言葉になっていたりするが、別に全然違う言葉でも置き換え可能で、もう皆さんはどこかから貸し付けられた憎悪によって何だかよく分からない適当な言葉でも勃起できるようになっているし、そのまま発情して虐殺を始められる、どこから来たのかも分からない憎悪によって皆さんの身体の内側がすべて虐殺欲求に置き換わる、皆さんの喜怒哀楽も、より良い未来を願う意志や祈りも、日々の心配事も空腹も優しさも、全て憎悪のために奉仕させられて、適当な言葉の刺激を入力すれば勃起して暴れ始める情けない虐殺マシーンになっている
人種主義や排外主義、社会的弱者・少数者への抑圧は歴史の必然として大量虐殺に行き着くから、いま参政党をはじめとしてそうした差別的な言辞を弄んで政治活動をしている人間や政党を支持している皆さんは、必ずこの日本社会で近い将来虐殺者になる、皆さんにはそういう未来が約束されている、皆さんは自制心や意志が少し弱いので、許可や口実が与えられれば人を殺すだろう、むしろいま皆さんは虐殺をしたがっている、理由は自身でもよく分かっていないが、やり返してこないくらいの適当な弱さの相手であれば誰でもよく、彼らを殺しても良いという許可や口実を、皆さんはいま待ち望んでいる
この国で差別により虐殺された死者たち、わたしと関わりわたしの人生の大切な一部となった外国籍の友人や同僚、住所がないために参政権を奪われているホームレスに声を貸し、海の向こうから来た無数のもの、無数の人々の労働によっていまここにあるこの身体のこの血で文字を書き、野獣のように投票した、わたしはこれ以上豊かにならなくてよい、むしろ、わたしがこれから豊かになり得たとして、それが差別や暴力、その果ての虐殺によってもたらされるものであるなら、わたしにはそれを拒絶する義務がある
あなたが差別的な言辞を弄び他者の尊厳を暴力で踏み躙る一方で、その暴力を受ける人々があなたに対し同じ暴力で応酬しないのは、彼らが、暴力を受けることの苦痛を知っていて、あなたが受ける苦痛を想像できるからだろう、あなたが言葉の暴力を行使できるのは彼らのその痛みと想像力に甘えているからだ
哲学家の永井玲衣さんが参政党に関する発言をされたInstagramの投稿で、コメント欄を開いてくださっています。その中で、参政党支持/反対派の方々が、感情的にならず建設的に双方の立場での意見交換をされている様子を見ることができました。
永井さんの発言そのものから飛躍しすぎてしまう恐れもありますが、個人的にはこれを見ていて、とても想像の一助になると思いました。
www.instagram.com/p/DLxY_s4zcj...