ふと思い出したが、
高校生の頃に、だぁ~っと書いていたのがピタリと止まって、
どうしても、その先を書けなくなった事があった。
何時間考えても、そこに書くたった一言がはまらなくて、
とりあえずで書いてみても、すぐに嫌になって消して、
数時間経って、次の日に書こうと思って、
翌日も書けなくて、
何日経っても無理で、
そのまま、書ける時が来るまでこれは放置しようと思ってノートを閉じたまま、
随分残ってた白紙のページ、他に使う事もなく。
思い出したら、既に何かで捨てられてしまっていた。
今は紙じゃないから、書いて、止まったのをタブで開いたまま数か月して、操作ミスして消えてたりする。
Posts by Takuramix
イランは譲歩出来ないだろう。
譲歩すればイスラムの神が間違っている事になるから。
トランプも譲歩出来ないだろう。
トランプは間違いを認めない事でのし上がった人間だから。
どちらも、非合理に強く縛られているので、徹底的にやり合うしかなくなるだろう。
マーケットが期待するような「短期で米国の勝利」なんてシナリオにはならないように思う。
この予想、外れて欲しいのだけれど、
どちらかが合理的な考え方をして交渉の成立に持っていく…という姿を想像出来ない。
オタクデモで今までにはない平和的なデモが世間に認知されつつあるこのタイミングで、デモ参加者としてあえてゲストで呼んだのが暴力革命を是とした全学連の学生三人ですよ。こんな意地悪なことある?自民党議員の冷笑なんかどうでもよくて問題の核はこっちでしょうに…と思ったのである。
Abemaの討論番組でデモを「ごっこ遊びに見える」と冷笑した自民党の議員が左派から猛烈に批判されていた。実際その番組を確認したところゲストで出演したデモ参加者三人全員が全学連(中核派)の大学生だったので椅子から転がり落ちバク転した後3回転サルコーを決めてしまった。しかもテーマは「高市政権打倒、なぜ暴力革命?」。番組サイドのゲスト選びにデモを腐そうという並々ならぬ悪意を感じる。
全学連はいくら批判されようが宣伝になるので実名顔出しで出てくるし、番組側は極左を出演させ見せ物にすることで視聴数が稼げるのでwinwinの関係になっているのだろう。迷惑を被っているのは平和的なデモに暴力革命を主張する団体に相乗りされた主催者と一般参加者たち。
youtu.be/PKdIAtlHuak?...
…今なら、その書き出しから、どんな言葉を続けていくだろうか?
そこに続けていくべき描写すべきものはあるだろうか?
「天井が無い」の意味は、ネガティブなもの一辺倒だったのだろうか?
母に言われるまで思い出さなかった程度のものだ。
だが、書いた本人は忘れても、それを読んでしまった母にとっては忘れられない衝撃だったという事だ。
「書く」という事、「言葉」というものは、恐ろしいものだな。
先日、母と話していたら、中学の頃に私が書いていた詩の話になった。
「僕の家には天井が無い」
という書き出しだったらしい。
言われてみれば、そんなのを書いたような気もする。
そして、母は、その頃の家庭環境が私にとってつらかったせいだろうと言う。
その当時、どんな気持ちでそれを書いたのだろうか?
その先に何が書いてあったのか、今はもう分からないから、そこにどんな想いがあったのかも、もう分からない。
その時の自分の感情を色々と考えて、そんな表現をした気もするし、
何かの表現の触発されて書いたようにも思う。
考えているうちに、自分で書いたものかどうか確証を持てなくなってくる。
昔から歌うのは好きだったのだが、だからといって人に聴かせるのが好きというワケでもなく、だからこそ、人前で歌う時も、特に緊張するといった事は無かった。
なんでだろう?と思っていたが、最近やっと理由が分かった。
私が歌う理由は、聴く為だ。
歌う事によって、よりよく聴く事が出来るからだ。
歌ってみると、聴いているだけでは気付かないものに気付く事が出来、聴こえなかったものが聴こえて来るからだ。
声を発する自分のポジションを、最も良いリスニングポジションと感じているのだろう。
最初と最後のやつがすごすぎて、AIじゃなくてホントに実在すんだよな?と確かめてしまった。ちゃんと実在していて、日本名は(尾長)裁縫鳥というそうです。
「平和主義者なら、戦争に反対する意志を持つ者なら、高市を支持などしない筈だ」
という筋で吹き上がる人々を見て呆れている。
そういう発想だからこそ、いつまでも戦争は無くならないし、平和が途切れてしまうのではないか?
そこではないだろう。
高市は戦争してるか?
戦争をしたいのに憲法9条があるから戦争が出来ないでいるとでも言うのか?
世界をそんなに雑に見ていて、それで戦争を止め、世界を平和に出来ると考えているのなら、その人は戦争や平和を舐めている。
「言語化」…
誰かが言語化したものを受け取るだけだと、マズイんだろうなぁ…。
例えば、教典とか、教典のようになってしまっているものとかって、当時の最高峰&支持された「何かを言語化したもの」なのではないか?と、考えると、そこにある危険性は分かると思うんだ。
「見事に言語化されているなぁ」
と、私も感嘆する事がよくあるし、それを紹介する事もあるのだけれど、
自分ならどう言語化したか、出来たか、その言語化のどこが秀逸なのか、それでも言語化されない何かがそこに残っていないか…そのあたりを自分で考えるのとセットにしないと危ういと思っている。
「鈍感」とは、「受け取れない」事を意味するのであって、受け取った後にどう反応するかは別の話だ。
何かに対する反応を表に出さないからといって、それは知覚していない証拠にはならない。
なのに、「他人から鈍感な人間だと思われたくない」と欲望し、他者に見せる為に反応し続けるという例が多い。
感じても、反応して見せるかどうかは、自分で選択できるし、選択すべきだ。
同時に、他者が何を感じているのかを、他者が見せる反応からだけ読み取ろうとし、決めつけてしまうのも間違いの元だ。
相手が思い通りの反応を返さないという理由で、自分に愛を注いでくれている愛すべき人を否定し遠ざけ呪ったり…悲劇に繋がる愚行だ。
子どもへの【戦争の伝え方】 小泉悠氏が語る「戦争が終わらない」本当の理由
東京大学准教授・小泉悠先生に聞く、現代の戦争と国際社会のリアル
cocreco.kodansha.co.jp/cocreco/gene...
>「どうして誰も戦争を止めないの?」ニュースを見る子どもからの純粋な疑問に、言葉を詰まらせた経験はありませんか?
ロシアの軍事・安全保障が専門の東京大学准教授・小泉悠先生も、高校生の娘を持つ親としてこの複雑な世界に向き合っています。
この記事では、子どもに「戦争が長引く理由」をどう説明すべきか、国際政治のリアルを小泉先生にわかりやすく解説してもらいました。
(全3回の1回目)
2本とも福島民友さんから(いずれも有料記事。こういうのこそ無料開放してほしい…)。再生土については、もういっそ積極的に使ってしまって、問題が起きないことを事実として展開していく方がいいのでは?
除染土再生利用、認知度微増 肯定的回答の割合上昇 25年度の全国調査(リンクカード)
www.minyu-net.com/news/detail/202603281352...
県外最終処分、認知度低調 前年度から1.5ポイント減 25年度の全国調査
www.minyu-net.com/news/detail/202603281342...
…こうした事を書けば、それは自分の喉元に刃を突きつける事にもなるのだが、それを分かっていて、書く事を躊躇いながら、そのリスクがあっても踏み込むべきだと覚悟して書く。
そうでなければ、書くべき事は、何一つ書けなくなる。
…他者の情報リテラシー不足を指摘するのは間違っていない。批判するのも間違っていない。だが、指摘し批判するなら、それは的確でなくてはならない。
そこが的確でないなら、それは自分自身の情報リテラシーの無さを可視化するだけだ。
ああ…しかし、そこで自身の情報リテラシー不足に気付く事が出来るなら有益だな。
まぁ、「情報リテラシー強者の俺様が愚民どもを教化してやるのだっ!」みたいな奴には、「気付く時」なんて死んで生まれ変わっても訪れないだろうが。
情報リテラシーかぁ…。
あれ、「自分には情報リテラシーがある」って前提で、他者を見下して回るような奴が暴れまわる場が出来ちゃったところもあるから、厄介よな。
「ある」「無い」で上下を付けたがる連中の猿山ゴッコに堕してる状況をよく目にする。
情報リテラシーねぇ…。それ、本当のある人ってのは、
「自分の情報リテラシーの限界」
知ってる人だろうよ。
他人の情報リテラシーを扱き下ろす暇があったら、
自分の情報リテラシーのどこに「穴」があるかに意識を向けて、向上を目指し続けるだろうよ。
私の夫はアラフォーなんだけど、牛乳パックで工作しているんだよね。
えっと、夫は成人しているし、幼稚園とか小学校じゃなくて、企業に勤めているんだけど。
牛乳パックで工作しているんだよね。
あぁ…とにかく、中学生の息子もいるんだけど、牛乳パックで工作しているんだよね。
三軒茶屋からこんにちは!
無名人インタビュー栗林です!
最近はこんな感じで準備いろいろ進めてます。
無名人インタビューは、誰でも無料で参加できる「コミュニケーションの遊び場兼運動場」です、と。
私たちには、この活動を通じて伝えたいことがあります。
整理して書くと、この5つになります。
「面白さ」に貴賤も境界も関係ない:人の面白さは、有名無名、年齢、国籍、性別とは無関係に、誰の中にでも存在する。むしろ、面白く思えないのは自分の問題だ。
…結果的に有名になってしまうなら仕方ない。
だが、有名は「劇薬」の類であり、制御が難しい。
自分の望む事、目的が、有名である事を必ずしも必要としないのであれば、有名になってしまう事を積極的に避ける方が良い。
…見も知らぬ世間の大勢の人から「有名人」「特別な人」「普通とは違う人」と評され、持て囃されたり侮辱されたりする、そういう立場になる事を切望する人は結構多いように思う。
漠然と、そういう立場に自分がなる事を喜ぶべきことだと思っている人は「典型的なヒーロー・ヒロイン物語の鉄板人気を鑑みれば多数派なのかも知れない。
だが、現実は、有名人は有名という足枷をはめられ檻に入れられて見世物にされてしまうようなものだ。それを分かった上で、
「自分の目的の為に必要性があるから、それを利用する」
といった使い方が出来るなら良いが、そうでなければ、「有名の毒」にやられてしまう。
…有名になる事を避けた方が良い場合が多いのではないだろうか?
私は一時期、有名になりかけた事がある。
「この人を見出した人」
に成りたがる連中が寄って来て、美辞麗句で誘い、時には脅し、周囲への不信を煽って、私を囲い込もうとした。
私は有名になりたいと思った事が無くて、
「有名にはなるのではなく、結果的になってしまうもので、もらい事故の類だ」
と思っていたので、彼らの誘惑には乗らなかった。
後に、「有名になれたかもしれないのに、勿体ない」と言われた事もあるのだが、私はうっかり有名になってしまわなくて助かったと思っている。
普通ではなく特別という事なら、ある意味、全員特別だ。そのままでいい。…
「普通の人」って、何だろう?
「無名の人」って、何だろう?
私は良い機会に恵まれて、著名な方と親しくさせていただく機会が何度かあったのだが、彼らが所謂「無名」とされる人に比べて特別違うという事は無かった。
いや、勿論能力は高く意志も強く決断力もあるのだが、同等の「無名の人」が大勢居るので、彼らを有名人にした主要因は、そうした能力や意志力といったものではないと、断言できる。
その「能力」と「意志力」が「有名になる方向」で使われたから有名になるのであって、無名だからと言って能力や意志力に劣るという事は全く無い。
と、なれば、
「有名になる」が目的でなければ、なる必要は無い…寧ろ…
私にとって安室奈美恵さんて言ったらポンキッキーズのウサギの人であり忍たま乱太郎の挿入歌歌ってた人よ。めちゃ歌うまくて親にお願いしてレンタル屋さんでCD借りたの覚えてる。
…だから、逆恨みされる事があっても、全くなんとも思わないとまでは言わないが、想定の範囲内として処理できる。
逆恨みされる可能性を想像したぐらいの事で躊躇うのなら、手を差し伸べたりしなければ良いのだ。
逆恨みされても構わんと思える相手にだけ、手を貸すぐらいが精いっぱいだろうよ、凡人にはな。
聖人には成れぬし、成ろうとも思わぬし、成りたくもない。
凡人のまま普通のまま、私の出来る範囲だけ精一杯やれたら、それ以上は望まない。
…米国の大学に留学する前後から、その辺りの迷いが無くなったんだと思う。
「全ての人の不幸に寄り添えないなら、一部の人の不幸に寄り添っても意味が無い」
みたいな考え方は、実に幼稚な傲慢ではないか!と思い至り、
自分の限界を知り、認める事にしたからだ。
だから、何をやってもやらなくても、世間はどこか粗さがしをして非難するものだと、それを覚悟しなくては、何も救えないし、何も切り捨てられないのだと分かった。
常に誰かにとって私は極悪人であり、私を恨む人間が必ずどこかに居る。
恨まれたくなど無いが、それは仕方ない事なのだ。
そう思い切って初めて、私は本当に誰かを支援出来るようになったのだと思う。
…
…高校ぐらいまでだったと思うが、そういう
「全ての人を救おうとしても出来ないのに、一部の人だけ助けたいとか思うのは悪い事なのでは?」
と悩んだりした。
太宰治の小説の中に、
「日本中の人々が、ご飯を一粒残していたら、それを集めれば大勢助かるのに」
みたいな事を想像して右往左往する人物が描かれていたと、うろ覚えなのだが…あれと同じような事を私も考えてしまって、躊躇ったり悩んだしていた頃があった。
最近だとFateシリーズにそういうのがあったっけ?
…
3.11という言葉が、記号化してしまうのを止めたい。
9.11の時にNYに居て、同じ事を思った。
あの時、NYに居たけれど、当事者だという意識は無い。
どこからが当事者で、どこからがそうでないのか?もよく分からない。
ただ、「自分」はどうあるべきだろうか?どうありたいだろうか?が、突きつけられる。
私は何者でもなく、例えば被災者の為に人生を賭けるといった決意とかも無い。
日々の中で、自分のやれる事をやるだけだ。
最優先は自分の幸せであり生活で、自分が気になった被災地や被災者に、出来る範囲の事をするだけだ。
だから、ある意味、そのほかの世界の様々な不幸な人々を見捨てているとも言える。
…