買ってしまった、ソニーα7Cⅱ。 FE20~70mmズームと合わせて1kg弱。今までの苦行はなんだったのか…いやー軽くて写真を撮るのが楽しいわ。
Posts by ジョー・チップ
Yasuharu氏はあと10年は大丈夫でしょう。
キヤノン6Dの重さにもう耐えられない。カメラを買い替えるぞ。それにしてもミラーレス高すぎ!
その後の展開を見ると、なんとも皮肉な話。やる気出さない方が良かったよな…
『WANDA/ワンダ』(バーバラ・ローデン監督、脚本、出演)
すごい映画。間違いなく後世に残すべき傑作。ここまで無気力な人間(たぶん倫理観も法令遵守意識もない)を忖度なしでリアルに描いた映画を他に知らない。ワンダの底知れない諦念、絶望が、荒涼とした景色と16mmの荒い画面と相まって胸に迫る。
とはいうものの、ノワールとして普通に面白く観られるのも確か。終盤の銀行のシーンはモブシーンもあって意外と金がかかっている。ワンダがもっともやる気を出した行為を男に「お前はすごい!」と褒められるシーンが哀しい。おそらく生まれて初めて褒められたのだろう。
#WANDA
#シネマヴェーラ渋谷
その後の展開を見ると、なんとも皮肉な話。やる気出さない方が良かったよな…
『ロス・カイファネス』
それにしても、今特集を観ていると、ジャンルを問わず撮影技術が高いことに驚く。この映画も色彩の美しさ、カメラワークの良さに目を奪われる。特に冒頭の実相寺ばりの逆光から、雨が降りだし、乗った車の中から窓越しに男たちの顔が見える、までの映像センスが秀逸。
『ロス・カイファネス』(1966 フアン・イパニェス監督)
今特集で初めて観たカラー映画。ひょんなことからガラの悪い男(カイファネス)4人組と出会った上流階級カップルの一夜の顛末を描く。夜の街のロケ撮影が魅力的。メキシコのヌ-ベルバーグのようでもあり、60年代日活青春映画にありそうな話でもある。
コメディ寄りの映画だが、みんなで馬鹿やってる内にお互い住む世界の溝が露わになってくるのが痛々しい。4人組は平気で物を盗むし公共物を破壊するような連中だが、バカ騒ぎしたと思うと急に真顔になって詩を口ずさんだりして、決して無教養な人間ではないことが示唆される。
#NFAJ
#メキシコ映画の大回顧
「頭の中で声がした。ガブル、ガブル、ガブル、おれは、ガブル、ガブル、ガブル、ガブル。
やめてくれ、とジャックは叫んだ。
ガブル、ガブル、ガブル、ガブル、とそれは答えた。」
(フィリップ・K・ディック『火星のタイムスリップ』 小尾芙佐訳)
「自由というものを愛している、とあなたが思っていたとしても、それが全ての人に等しく与えられるかどうかを気にしていないのなら、あなたが本当に愛しているのは特権だ」
『エル・サント対吸血鬼女』観た。我等が覆面レスラー、エル・サントが吸血美女軍団に立ち向かう。所謂ルチャ映画ながら吸血鬼たちの廃墟での復活の儀式が怪奇映画ムード満点で素晴らしくちゃんと怖い。つっこみポイントでもある決着の付け方も相手が吸血鬼ならこうするよねなので理にかなっている。
授業帰りにNFAJメキシコ映画特集で、伝説のルチャドール(プロレスラー)、「白銀のマスクマン」ことエル・サント主演の『エル・サント対吸血鬼女』。吸血鬼の女王に狙われる知人の大学教授の娘の警護を頼まれたエル・サント、「試合が終わったらそっち行きます」と、本業優先ですが、吸血鬼のしもべが試合相手の覆面レスラーを殺して成り替わり、じっくりプロレスの試合をくり広げた後に、サントが相手の覆面をはぎ取ると、現れた顔はなんと狼男!吸血鬼じゃなくていいんかい、という中盤が一番盛り上がるかも。外出時は黒マントの吸血鬼軍団が、映えを意識してこぞって両腕広げて移動するあたりでも好感度が上がります。
帰りがけに適当に月を撮ったら、意外とよく撮れていた。
『エル・サント対吸血鬼女』 違和感を感じない理由は、あえて言えば話の展開がほとんど(初期の)仮面ライダーだからだろう。まあこちらが先(1962年)なんだが。終盤はさらわれたヒロインを救うべくバイクならぬスポーツカーで敵のアジトに乗り込み、吸血鬼(男)どもと格闘技で戦います。ラストシーン、エル・サントはスポーツカーに乗って何処かに去っていきます(試合には出ます)。
#メキシコ映画の大回顧
『エル・サント対吸血鬼女』(アルフォンソ・コロナ・ブレイク監督)
ルチャ・リブレの伝説的ヒーロー、エル・サント(本人)が吸血鬼軍団と戦う、という俄かには信じがたい映画。実際に観ると、スマートな演出に重厚なセット、流麗なカメラワークでチープさは感じられず、むしろスゲー面白い映画を観た感しかない。
冒頭の吸血鬼が復活するシーンのハマープロ的おどろおどろしさ、一転してヒロインの家はモダンで父親の部屋にはSFじみたTV電話があり、さらに突然プロレス試合(本物っぽい)が始まり…と、本来かみ合いそうにないものが特に違和感なく纏まっている。
#メキシコ映画の大回顧
#国立映画アーカイブ
「いままでデスクのあった暗闇の中で、〈かげぼうし〉が壁にくっついていた。
もちろん、それは〈みぎ〉の〈かげぼうし〉だった。少年がこれまでに出会った〈ひだり〉の〈かげぼうし〉はたったひとりで、それもちらっと見ただけだった。」
(フィリップ・K・ディック『超能力世界』 浅倉久志訳)
「この世界では、才能のある者は兵器を設計し、才能のない者はそれを使うんだ」
(フィリップ・K・ディック『薄明の朝食』 鈴木聡訳)
え、なにブルスカって300字も書けるの?
『エナモラーダ』エミリオ・フェルナンデスの1946年作品をnfajのメキシコ映画大回顧にて。マリア・フェリックスはモーリン・オハラに原節子を足したような女性像で、翻案元とされる「じゃじゃ馬ならし」からの引用は彼女の極端に激しい気性くらいでは。革命軍の将軍役のペドロ・アルメンダリスのテキストが全方面に過剰で素晴らしいのだけど、親友の神父が讃美歌の練習をしているとこに現れた彼が音が響かないように拍車を外す演出とかすごくいいんですよね。千切れた真珠の首飾りからの連想だけど、ボリス・バルネットが彼の地で映画を撮ったらこんな作品になったのではと妄想。傑作!
「…それは一つの抽象観念だ―民族、国土。血、名誉。りっぱな人びとに備わった名誉ではなく、名誉そのもの。栄光。抽象観念が現実であり、実在するものは彼らには見えない。”善”はあっても、善人たちとか、この善人とかはない」
(フィリップ・K・ディック『高い城の男』 浅倉久志訳)
「完璧な社会主義だわ」タッソーが言った。「共産主義国家の理想ね。全人民に兌換性があるなんて」
(フィリップ・K・ディック『変種第二号』 友枝康子訳)
「…だがこいつは防臭剤とかヘアオイルとかの場合と違って冗談ではすまされない。これからは逃れられません。買わなければ、死ぬんですよ、って。完璧な売り込みの口上だ。買え、しからずんば死ね—新手のスローガンだ。」
(フィリップ・K・ディック『フォスター、お前、死んでるところだぞ』 友枝康子訳)
フィリップ・K・ディックの短編『小さな黒い箱』は映画化されるべき。
「狂気の社会では、病人が健常者なんです」
「なんたるたわごとを!」
(フィリップ・K・ディック『小さな黒い箱』 浅倉久志訳)
「…彼は目をつむった。もうそれはない―茫然とそう考えた。わしの築きあげたあらゆるものが。」
(フィリップ・K・ディック『ユービック』 浅倉久志訳)