マルクスとエンゲルスが常連だった食堂の跡地(白鳥の家)
建物は現存するも高級レストランになっている
Posts by 下村思游
ヴェルレーヌが痴話喧嘩の末にランボーを銃撃したホテルの跡地
ヴェルレーヌはすぐ向かいにある監獄(今は高級ホテルのホテル・アミーゴ)にぶち込まれたとのこと
このときの第5回ソルヴェイ会議の参加者はハイゼンベルク、アインシュタイン、ボーア、シュレーディンガー、パウリ、ディラックを筆頭にブリユアン、ブラッグ、ボルン、コンプトン、エーレンフェスト、ローレンツ、ランジュバン、マリ・キュリー、デバイ、ウィルソン、リチャードソンととんでもない面子なので聖地巡礼できて感無量
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%...
1925年に開催されたソルヴェイ会議の会場(現在はリセになっている)
ハイゼンベルクによって初めて量子力学が議題となり、ボーアとアインシュタインが初めて量子力学に関する議論をし、ボコボコにされたアインシュタインが「神は賽を振らない」と吐露するきっかけになった20世紀の科学のハイライトの舞台
ターキッシュコーヒーはフィルターを使わずに砂と粉と水を混ぜて熱して淹れたものの上澄みだけを飲むものなので、俺が泥だと思った底の方の物体は紛れもなく泥である
明日俺から砂が出ます
イスタンブールでは普通に使えた海外ローミングがブリュッセルでは全く使えず、半日経って急に繋がるようになってネットに復帰した
ブリュッセル空港は強烈なシナモンの香り
到着ゲートの目の前にワッフル屋があるのでそれはそう
ブリュッセル到着
早速3言語対応
乗り継ぎでもうイスタンブールを離れてしまうのでイスタンブールらしい写真が何もない
これは世界どこにでもあるマクド
俺の英語は声量が足りていない疑惑がある
なんでみんなコーヒーを残すんだろう、と思ってカップをグッと傾けたら底の泥みたいな部分を思いっきり飲み込んでむせてしまった
なるほどね
適当なサンドイッチで13ユーロとかするのを見ると軽々しく食えない
伝統的なトルココーヒー(直訳)
酸味は全くなくて苦味と深みが強い
甘味もないのでトルコの甘いお菓子と合わせるといいのかも?
美味いは美味いんだけどこれだけで1125円は高い
イスタンブールに着いた
行き先表示が国際的
飛行機で『土人形と動死体』を読むか、「道化師の蝶」を読むか、それが問題だ
SFセミナーのチケットを購入した
『土人形と動死体』の1/3を読み終えたが、これがどう綺麗にオチていくのか現時点では全く見えない
思ったより物理の話をしているなという感じはある
円城塔という作家はおそらく、あなたは世界をどう見ますか、というところに関心があり、見た世界を伝えるときには言葉が介在するので、この言葉についてもきちんと考えなければいけませんね、ということになる
なので物理法則と言葉と物語という題材が多くなる
とりあえず第4作「無名再起書」まで読んだ
無名で再起だからラムダ計算の話だろうかと思ったら本当にそうだった
ここまでで話が繋がる気配はあまり感じられず、これまでの作品の中で一番綺麗にオチたというのは本当なんだろうかとなっている
円城塔の新作『土人形と動死体』は3章立てで,それぞれShell, Kernel, RootということでUNIXっぽい感じ
可能な答えを1つに絞れてはいたけど確信を持てなかった事項について、明確な確証を得られたのでその点も非常に大きな収穫
『土人形と動死体』をいち早く手に入れられたのでじっくり読むか
今日の円城塔・塩澤快浩対談は、円城塔はやはり物理の人だということを確信出来たという点で非常にありがたかった
今年の京フェス、「言葉の綾とりとしての円城塔」と「サイバーパンクとしての円城塔」の2本立てで行こうかな
並べられた言葉を読むと、なぜ人は泣くのだろう、なぜ人は情景を思い浮かべるのだろう、というのをずっとやっているのが円城塔
何らかの系を前にしたら解釈するのが物理学者の性であり、それが言葉であっても綾とりであっても自然現象であっても同じこと
言葉を肉体に還元しようという石原慎太郎と、言葉による制限を取り払って解放しようという円城塔とでは、どうやったって相性が悪い、というのはそれはそう
「道化師」は物語全体で何らかの構造を描き出そうとした意図が認められるが、中身には従来多用していた数理と論理がない
何らかの構造を言葉によって作るという点で確かに「言葉の綾とり」であり、従来多用していた数理を封印した結果(残念ながら)出来が悪くなったという状況を的確に指摘しているように思う
本来円城塔は何らかの構造を小説を使って描き出し、その構造を数理的に解釈した物語を織り込む作家であり、『SRE』や『Boy's』、「これはペンです」では明らかに意識的に行なっていたのに対して、「オブ・ザ」や「道化師」では明らかに行なっていない
並べた字面の連想だけで物語を進めている感が強い
石原慎太郎による円城塔「道化師の蝶」の芥川賞受賞時の選評のことを最近よく考えている
選評は「こうした言葉の綾とりみたいなできの悪いゲームに付き合わされる読者は気の毒というよりない」というもの
これは一般に酷評であると解釈されているが、むしろこれは「道化師の蝶」を極めて端的に表現したもののように思う
SFセミナーは参加したいんだけど参加登録がまだない?