【15】
ランク:EX
特色:完全浮遊、電撃操作、上位権限「トゥルーキル」
叛逆の悪魔。システムナンバー15。
人類守護システムの一柱にして、かつて人類救済の方針に背いた個体のひとつ。
救済側との戦いに敗北し、権限の大部分を喪失して「最下層」にまで墜落していたところでナフカと出逢った。
かつての顕現体と同一ではなく、その権能の一部を取り戻した形態。
あるいは、本来 "想定されていた" 仮想的な機能を限定的に実現・獲得した状態。
眷属あるいは下位個体に相当する存在であるケモノに対し、上位権限「トゥルーキル」を行使することで還元封印ですらない「殺害」が可能。
#あむへHHT
#ケモノ図鑑
Posts by 【アームヘッド:人限塔のハーヴェスト】
【第13話に続く】
……深く昏い精神の奥底。
その闇から腐乱死体のように浮上した、遠い記憶の欠片。
顔も名前もノイズがかったように思い出せない、かつての者達。
乖離を起こして久しい全身の感覚に、濁流のような憎悪と慟哭、狂気が満ち。
指先の毛細血管にまで、血潮の代わりに冷たい泥水が行き通るような、汚濁色の充足が舞い戻った。
「ころす
ころして やる
かえせ
おれの すべてを
あのひ うしなった すべてを
かえせ——かえせ……!!」
「 ころ す 」
——黒い装甲の表面に、天を縫う雷のような燐光が疾駆する。
黄緑色の宝玉から削り出されたような輝きを放っていた翅が、自ら砕け散る。
直後、時間が逆戻りするかのように破片が寄り集まり、地上を灼く稲妻のような形状へと再構築された。
隠し腕が肥大化し、手の甲にケモノのそれとよく似た結晶が生え、元より生えていた鉤爪は更に伸び上がって凶々しい鎌のようなシルエットを象った。
……雷光を全身に滾らせていく、漆黒の悪魔の胎内で。
ナフカだった男の両眼が左右とも鮮血のような真紅に染まり、そこに鬼灯のような昏い光が灯った。
—— 大猿が、不本意に悪魔を取り落とした。
正確には、先ほどまで掴んでいた悪魔の喉が突如して爆発し、大猿の手と悪魔自身を諸共に焼いた。
咄嗟に飛び退いた大猿の前にあったのは、自ら頭部を爆散させ、慣性と神経反応だけで体勢を維持している、首の取れた蟲のようになった悪魔の遺骸。
……いや。違う。
それは、遺骸ではあり得ない。
失った頭部。その断面から、めきめきと音を立てて有機フレームを急成長させ、より歪で肥大化した角を戴く新たな頭部を自ら構築する——そんなものが、遺骸などである筈がない。
……その言葉を、ナフカは既に聴いていなかった。
当然だった。
いくら言葉を投げても受け取る側の意識がなければ、その意味は認識され得ない。
悪魔のコクピット内にあったのは、物言わぬ人体。
眼球からは意思のパルスが完全に消失し、瞳孔は開いたまま。
外界からの刺激に、一切の反応を示さない。たまたま人の形をしているだけの肉塊—— 彼の、"本来の姿" が、そこにあった。
——突如。
ただのガラス玉と化していた二つの眼球が、不規則かつ高速にぐるぐるとのたうち回った。
そして。
全くの同時に、
前を。見た。
—— 聲を聴いた
統一言語が彼女の喉から響くのを聴いた
なれば既にこちら側 我らが同胞
もとより進みかけの更新だ 間もなく済む ——
……悪魔が、ナフカが、金切り声を上げながら膠着を破壊した。
隠し腕を躊躇なく展開。
大剣を放り捨て、全ての腕が大猿の胸のコアへと伸ばされた。
しかし奪還は叶わない。大猿が渾身の拳打で隠し腕を容赦なく粉砕し、無数の金属片と組織片へ変えた。
残る二腕も、まるで赤子の手を捻るかのように軌道を見切り、回避し、そして左腕を強靭な膂力で捕らえる。
そのまま、胸の悪くなるような湿り気のある音と共に、ねじ切り引き千切った。
ナフカの喉が、獣じみた絶叫を上げた。
だが、その自由すらも大猿は無慈悲に摘み取った。
……悪魔の喉をその剛腕でひっ掴み、
天高く掲げ、
万力のような膂力で締め上げ—— "折った"。
—— いかなる警戒も、躊躇も。全てが消し飛んだ。
悪魔が、間一髪避けたギャウラに一切目もくれずに突撃する。
すぐさま振り向いた大猿の両腕が交差する形に組まれ、暴虐のままに振り下ろされた大剣の刃を受け止めた。
……膠着状態。ふと視界に入った、大猿の胸部中央。
そこに収まるようにして輝いていたコア状の器官から、小さな "何か" が僅かに突き出ていた。
ナフカの瞳が見開かれる。
認識を拒否していた筈の脳髄が、漸くその光景を理解した。
……力の抜けきった、か細い人間の指先。
底なし沼の水面のように表面を揺蕩せる、球体の内側へと。
とぷん、という静かな音だけを残して——それは、完全に沈み込んだ。
「あの子が……ミアちゃんが!
あの野郎に、大猿に、喰われちまった!!」
唐突に、混乱と焦燥に満ちた声がした。
見ると、ミアージュの指導役を任されていた目の大きい団員……記憶が確かであればギャウラという名前だった筈の人物が、悪魔の足元に必死に駆け寄りながら叫んでいるところだった。
ナフカが警戒を解かないまま、ギャウラの叫びに耳を傾ける。
しきり何かを叫んでいるようだが、よく聞き取れない。
ギャウラも把握したようで、似たようなことを繰り返し叫んでいる様子が見て取れる。意識を更に、下側に向けていく。
そして——言葉の意味を認識できた、その直後に。
ナフカの血塗れの表情から、一切の感情が消失した。
—— 果たして。
僅か30秒ほどで、大猿は悪魔の眼下にて呆気なく見付かった。
崩れた大橋らしきものによって道を寸断された断崖絶壁の向こう側に立っており、後方には少数からなるケモノの群れがあった。
どこか大猿に反抗しているようにも見えるケモノ達を素早く大角で片付けると、悪魔は改めて大猿の背を見据えた。
……様子がおかしい。
まるで、何かを胸に抱え込んでいるような、奇妙な姿勢。
隙を突くべきかという思考が、自分の存在に気付いていない訳がない、という結論によって押し留められる。
「あ……ああ!ナフカ!ナフカだな!?」
ナフカが一旦呼吸を整え、追いすがる前に自身のコンディションを回復させる——よりも先に、脳裏に弾けて現れた可能性が、思考よりも先に機体を走らせた。
シェニットの魔竜はまだケモノ共の相手を続けている。
そちらに向かわなかったとなれば、残る可能性は一つしかない。
大猿が姿を消した方向は。大猿が狙っているのは。
機体を疾駆させ、時に大跳躍からの滑空を織り交ぜながら、ナフカは機体内部で舌打ちした。
……囮作戦に、勘付かれた。
考え得る最悪の事態。だが可能性はもはやそれしかない。
一刻も早く追い付かなければという焦燥が、数秒前の自身の反応の遅れを呪った。
……突如。
大猿が何かを感知したかのように、その顔を上げた。
罠である可能性を鑑み、ナフカがどうにか機体と自身の体勢を整えながら様子を見る。
しかし当の大猿は "何か" を特定することを優先したらしく、まるで風向きを読むかのように暫く空気を吟味していた。
……数秒後。大猿が取った行動は、渾身の大跳躍だった。
その飛距離は、大猿自身の体格と照らし合わせると不条理の領域。
岩山の頂を跳び渡る伝説上の仙人を思わせるような動きで、またたく間にその姿を地平線近くまで消してしまった。
「が——」
ナフカが轢かれたカエルのような声を出し、次に赤黒い血を吐き出した。口元を覆うマスクの暗緑色は、血と混ざり合って汚らしい黒へと変じた。
……今度こそまともに命中した衝撃は、機体とリンクしているナフカの感覚器を鮮明に痛打し、激痛としてその全身を襲ったのだ。
霞む視界。もはや呼吸の邪魔でしかないマスクを剥ぎ取り、犬歯を剥き出しにしたナフカが肩で息をしながら前を向いた。
……大猿が、ゆっくりと距離を詰める。
両腕に、既に膂力を漲らせたままの、異様なまでに緩慢な歩み。
攻撃の瞬間を悟らせない為の、意図的なペースチェンジ。
だが。
……ナフカの心臓が、刹那にその脈を暴走させた。
真上に突き抜ける力の奔流を回避した、というのに。
コクピット越しに、その衝撃が機体のフレームを通して伝わる感覚すらあった。コンマ数秒の間に続いたのは、"判断を誤った" ことへの自覚と、弩級の悪寒。
……致命の一打は、あくまで囮。間髪入れずにに襲いかかってきたのは、拳の反動をその場で滑らかな流水のように斜め方向に転換して放たれた、上体起こしならぬ下体起こしからの蹴りだった。
……悪魔の黒い装甲を叩き割り、フレームを部位破壊して。
全身を地に沈没させたそれは、もはや零距離砲撃にすら等しかった。
—— それは、あまりにも唐突な変化だった。
まるで、人間の感情でいうところの失望にも似た反応を見せた後。
それまでナフカの様子を見るように穏やかだった大猿の身のこなしは、今まで本気など出していなかったと言わんばかりの "暴風" へとその様相を変えた。
ナフカの動体視力を完全に上回るスプリント。二脚構造体の死角たる懐へと一気に距離を詰め、不吉なまでに低く構えた姿勢から、まるで大噴火のような強烈な拳が真上に放たれた。
……軌道の話に限れば、シンプルなアッパーカット。しかしナフカのアームヘッドには、体勢を大きく崩しながら無理矢理に回避する以外の道はなかった。
◆
—— わたしたちは たべてなんか いない
こうすると わたしたちに なれる
つよくて おおきい からだに なれる
だから ぜんぶ うばわれて
かりとられて しまう ときが きても
きっと いきのこれる だから こうする
しんで ほしくない ひと みんな いた
だから こうなったら すぐに みんな やった
たいせつな ひと だいじなひと
いとしい ひと
もう じかん が ない
いとしい ひと どうか ——
—— "掴んだ"。
その感覚を、確かに掴んだ。
まるで音波受信装置の調整のように、何かがかちりと明確にはまる感触があった。
手放してしまわないうちに、ミアージュは次の言葉を繋いだ。
【 ——私は、あなたたちの言葉が、わかる。
話してみたかった。今日、ようやくそれが出来た。
どうして、私たちを食べるのか。
どうして、私はあなたたちと言葉が通じるのか。
答えてくれるなら、教えてほしい】
—— 静寂。
ケモノ達は凍結したように硬直。
しかしてミアージュは無言で、ただ静かに立ち尽くし、待った。
やがて、その問いに。
答えは、返ってきた。
「——」
ミアージュは逃げなかった。
見る見る遠くなる住人と、団員の背中。ギャウラが気付いて振り向く。
対して、彼女は意図して背を向けた。このままでは全員喰われることなど、火を見るより明らかだった。
ならば——もはや、賭けるしかない。
迫るケモノを見つめ、震える脚をいつかのように抑え。
そして彼女は、呼びかけた。
【——ねえ。私の聲、わかる?】
それは不明瞭な、言葉の体すら成していないような呻きに似ていた。少なくとも、常人からはそのように聞こえただろう。
しかしその音が喉から発せられ、響き渡った瞬間——すべてのケモノが驚愕したように動きを止め、一斉にミアージュに目線を向けた。
—— 空気を貫く言葉とは裏腹に。
まるで、散歩でもするかのような穏やかさで、その場にふわりと "それ" は舞い降りた。同時に、その場にいた全員の呼吸が静止した。
……シェニットと出逢ったトートで見た、魚に似た外観を持つタイプ。地を這うサソリ型とは異なり、空中を自在に浮遊できる。
それが複数匹、さも当然のように空中を泳ぎ、断崖をまたぎ、そして "こちら側" へと乗り込んできたのだ。
「……う、うわああああああああああああ!!」
震えていた若者が後退り、慌てて腰をあげて駆け出す。
同時に全員が再び恐慌状態に叩き落とされ、弾かれたように逃げ出した。
ようやく安堵の声が上がると同時に、切れた息を肺いっぱいに吸い込む声が続出する。
その中で、ミアージュだけが崖の向こう側で、視線だけをこちらに向け続けているケモノ達から目を離さなかった。
……聲が、聞こえる。彼らの話し声が、少し距離を空けて聞こえる。
聞き耳を立てるようにミアージュが受け取ったのは、幸か不幸か、次のような内容だった。
—— じぶん いけるよ ——
思考よりも、絶叫のほうが先だった。
ミアージュの喉が、まるで自ら四方に裂けようとしたかのように弾け。
体中の酸素を惜しみなく消費し、世界に響く渾身の大声を出した。
「みんな、逃げて!!」
「す……すげえ!すげえよ爺さん!これであいつらも追ってこれねえ!ざ、ざーあみろ!へへっ……」
腰を抜かしていた若者が、震える喉で歓喜の声をあげる。老人は苦笑しながらも、漸くといった様子で葉巻を取り出した。
「いつまでも追ってこれねえ訳じゃねえが、時間はかかる。回り道するにも相当な距離だ……おっと」
老人がしまった、といった表情を浮かべた瞬間、ギャウラが火打ち紙を擦り、その葉巻に火を付けた。……満足そうに、老人が煙をくゆらせる。
「……その間に、あの兄ちゃん達が片付けてくれることを祈るしかねえ。何にせよ、とりあえずひと息つこうぜ」
——それは、圧巻の光景だった。
大勢の人間はおろか、ケモノの群れの重量にすらびくともせずに耐えていた頑強な石橋が、たった三つの横棒を失っただけで途端に音を立てて崩壊した。
当然、橋の上にいたケモノ達は一匹残らず深い谷底へと飲み込まれ、姿を消してしまった。
同時に運よく残ったケモノ達は、断崖の反対側まで逃げ延びた住民達にその視線を投げかけるしかなかった。
「……この橋はな、元々ワシらが作ったんだ。この街に骨を埋めることを決めた時にな。いざ、という時の為にこんな仕込みをしてたんだが、それも今となっちゃあ知ってる奴も殆どいなくなっちまって……ま、最後に無駄にならんで良かったさ」
先導する老人が迷いなく橋を渡り、それに大勢が続いていく。
殿を務める団員達が最後尾でケモノの侵攻を遅らせながら橋を渡りきると、先行していた筈の老人がたもとで何やら待ち構えていた。
……意図は不明ながら、老人の行動を阻害しないよう全員が距離を空ける。ケモノ達が橋の半ばまで、水路を逆流する鉄砲水のような勢いで迫る。
恐慌する住人達を尻目に、老人は脂汗を浮かべた不敵な笑みをその皺に湛えた。
そして——たもとから突き出ていた金属製の横棒を、合計三本、次々と渾身の力で蹴り抜いた。
同時に、致命的な何かが抜け落ちたような、重くくぐもった音が響いた。
老人の異様な健脚に、団員や逃げ惑っていた他の住民達も従い、並走し、追いすがる。
途中、ミアージュやギャウラが再び閃光玉、煙幕、音響爆弾などを撒き、ケモノ達の凶悪な爪が一行の背中に届かんとするのを幾度も防いだ。
……永遠にも思えた逃亡劇の末、突如として視界が開ける。
広がっていたのは、深い谷めいた断崖だった。
向こう側にも同じような崖があり、その間に古い石橋が渡されている。
随分と昔に造られたようで、ところどころが苔むしていたが、外観からは極めて高精度な技術によるものであることが見て取れた。
崩落の心配は、おそらくない。
「こっちだ!」
大きく響き渡った声は、ミアージュのものでも、ギャウラのものでもなかった。
……住民のひとりと思しき、老年の男。しかしその両足は年齢を感じさせないほど鍛えあげられ、軽快に地を駆けている。
そしてその走りは無軌道に逃げ惑うのではなく、迷いのない一方向を目指していた。
……長がかつて率いていた、クライマーの時代の仲間。
ミアージュが察し、即座に後方に閃光玉を投げ付けた。目標さえあれば時間稼ぎの重要性も変わってくる。ギャウラが先んじて老人の横に並走した。
「策があるのか!」
「あるとも!」
「任せる!」
「おうとも!」
「……クソッ!やっぱり勘付いた奴らがいやがるか!」
目の大きな団員……ギャウラの叫びに、ミアージュの意識が現実に引き戻される。
背後から迫っていたのは、魔竜が囮であることに気付き、生身の人間の存在を察知したケモノの小群だった。
サソリ型の巨躯が生み出す移動速度は、人間の脚と比べて絶望的と形容できるほどに差がある。まるで地上のモグラが馬に追われるような状況。
加えてここにはブランクの闇、つまり逃げ場がない。僅かな時間稼ぎは無意味ではないが、有効でもない。
モグラ側に残された打てる手は、あまりに少ない。