『続きと始まり』柴崎友香
『百年と一日』の変奏というか、二つの震災の記憶が顔を出し3人の生活を小説が行き来するたび時間が伸び縮みするようだった。サブタイトルになっている日付は2年しか進んでいないのに、起点も終点もないような長い長い物語をみることになる。
3人に共通して体験された詩の朗読が、それ自体はささやかなものだったのに物語が進んでいくうちどんどん大きなものになっていく、世界とか過去とかいろんなものが結びつけられていくその感じは、いまの時代に切実に響いていると思う。
とても読み応えがありました。
Posts by iramiram
菊五郎が二人になるニュース、贔屓にしている人たちからは喜ばしいニュースなのかもしれないけれど、生きている間に息子や孫に継がせたいなら自分は別の名前になればいいし、自分が一生菊五郎の名前でと思うなら子や孫の襲名は見るのを諦めるしかないんじゃないの。
丑之助は向こう数年変声期に入るわけで、いちばん難しい時期ではないのかな。
『悪は存在しない』
なんでもない山の暮らしに投じられた一石が起こす揺れ。いくつもいくつも生じる揺れは「何も起こらない映画」のような微細なものなのに、おもいがけないような展開を必然にするような揺れだった。
再度見たら結末から逆に見ることになるだろうけど、それがいいことかはわからない。
取り返しのつかないようなことが突発的に起きて画面を切り裂いていく、その時の“どうして?”という感覚は、映画自体は全然似ていないけど、『牯嶺街少年殺人事件』のあのシーンの衝撃に似ていたなと思ったりしている。
是枝裕和の『怪物』をめぐる鼎談、批評とは何か考えさせられる内容だった。マイノリティーをどう描くかは現代の課題ではあるだろうし、是枝監督が時代に追いついているとも思わないし。でも、どうすれば自分たちが納得できる作品になったのか、みたいなことを語るのが映画批評なのかな。
よくわかりません。
アマプラで『市子』を見たんだけど、“仕方なかったよね”という中途半端な同情や“こういう社会を変えなくては”という正論なんかが全く届かないところで罪を重ねて生きぬいていく市子が哀しくもおそろしくもあって、作り手がこういう人物を作ってしまったことにちょっとやりきれない気持ちになった。現実が厳しいことは百も承知で、だからこそ市子を救ってほしかったって気持ちが澱のように残ったな。フィクションにはいろんな現実をねじ伏せてでも未来や希望をみせてほしいと近頃は思ってしまう。
杉咲花はもちろん若葉竜也がとてもいい作品ではありました。
『夜明けのすべて』
プラネタリウムという設定は原作にはなかったというのがまず驚き。映像化にあたっての、この夜の闇とそこにある星のまたたきは、侵されることなく共にそこにあって、個として存在しながらそれぞれが誰かを支えたりたすけたりする優しい連帯そのものをくっきり示しているようだった。
夜の滑らかな美しさが特に印象的で、歩道橋を歩く二人が星を見上げる引きの場面、一瞬で終わってしまったけどほんとうにいい場面だった。上白石萌音と松村北斗の声の良さも映像化による作品の広がりに大きく寄与していると思う。
あと、自転車と電車がいい映画はみんな名作。間違いない。
しばらくは、ながめるだけかも。