遊星D「書店からきた女」路上演劇的な風情で、小劇場特有の圧迫感がなくて良かったな。(ただ、その分集中力も散漫になるのでもう少し短ければありがたかった)意外に手堅い作劇で、前観た時と同じ感想になるが台詞のセンスが好きだし、空想地図のZINを一冊買った。
Posts by ハスキー
本との新しい出会い生み出す、遊星D「北千住BOOK SODOM」本日開幕(舞台写真あり)
natalie.mu/stage/news/664868
遊星D『書店からきた女』Concept Movie youtube.com/watch?v=9Kvn...
コミティア154出ます
つい先ほど入稿したので、データに不備があったら間に合わないです!
カッパの皇帝が革命によって国を追われる物語の第一話を頒布します
フルカラー本文24P、 ぬ23b
🔷文フリ新刊🔷
『everything you do is a balloon』
作 梢はすか
原案 岸田國士『紙風船』
遊星Dのブースは「L-49」です🎈
#文学フリマ東京
告知(文フリ東京41 新刊あります)|遊星D #文学フリマ
note.com/yuseid/n/na7...
こんな時間に公開するなよという話なんですが、メルマガやりたいなと思って試行錯誤中で、とりあえずsubstack始めました。エッセイと小さな話題など。メールでの購読もできる、はず。
✉️切手のない手紙 1通目
「麻辣湯狂詩曲」
nagaeri310.substack.com/p/c9c
昨日ふりスペと木製グッズになんの関係が…?と問われたときにじゃあアクスタ作ってる作品にはいつアクリル板が出てきたんだ!と抗弁したの、いい屁理屈だったな
社交も演劇も、ひとりではできない。自分の設計や意思が貫徹できないどころか、コントロール不能になったところでこそ面白くなる。そこが好き。
『仕事文脈 vol.25』に先日上演した『遊星Dのファイヴ・フィンガー・ディスカウント』のレビューが掲載されました📚🧤
関口さんありがとうございます‼️🙏✨
▼本の情報
tababooks.com/books/shigot...
note版「仕事文脈」、日々更新中!
vol.25よりはじまった新連載「文脈レビュー」より、前編が公開となりました。編集部それぞれが本誌制作中の半年の間に見たり聴いたり読んだりした本、音楽、映画、上演などについてレビューしています。
前編では、演劇『遊星Dのファイヴ・フィンガー・ディスカウント』(企画・上演:遊星D)、映画『ジョイランド わたしの願い』、漫画『瓜を破る』(板倉梓、芳文社コミックス)を取り上げています📚
note.com/tababooks/n/...
遊星D『闖入者たち』
youtube.com/watch?v=yDFX...
それはそれで超楽しみですけれど、きっとたぶん充分ではないです🥲
逆に、僕は柿内さんに恋愛相談したいっす・・
大学時代に、自分より何十倍も頭のいい先生方が丸一日学生の発表準備に付き合ってくれるのを見てきたため、「自分ごときが思考コストを惜しむなんて百年早いな・・」と思ってしまっているのに今気づきました・・
労働してると、コミュニケーションや理解のためのコストを払う気がさらさらない人の多さが可視化される。だから、なるべく多くの人が考えなくていいようにするために、こちらがすべてのコストを代わりに負担するという発想に慣れてしまう。そのせいで、退勤後の生活で「そのくらい汲み取ってくれ」みたいな態度で接してくる人への寛容さがどんどん損なわれていくんだけれど、いや、ふつうに汲み取ってあげなよ、と我に返ることが大事。
“今回の上演までを通して三人がそれぞれ考えたことをドキュメンテーションする作業も、水面下で進められています。乞うご期待というやつです。”
note.com/yuseid/n/n46...
これ、とても楽しみだな。じっさいにそのような感想もあったと話されていたけれど、先日の公演はかなり素朴にそのまんまゴダールやっていたという印象だったから、やたら衒学的なドキュメントが出てきたら手を叩いて喜ぶ。
それはさておき、はすかさんがどのように「場」や「友人」を保守しているのか、みたいなところに非常に関心がある。かなりすごいことをしていると思う。今井寿の「軽々とHappy」の境地に通じるものを感じる。
“遊星Dの主宰・梢はすかは必ずしも戯曲を書かないし演出もしない。出演もしない。それでも遊星Dは明確に梢はすかによって誂えられた場として機能している。(…)本番を前提とした演劇の制作というのは目的遂行的な行為であるほかなく関係者を手段として抑圧する危険とつねに隣り合わせだ。遊星Dは制作にまつわる気張りをなるべく無効化しようとしているように見える。ふだんづかいの制作。生活を破綻させるような無理はせず、それでもめいっぱいの背伸びはする。そのようなスタンスで成り立つ作品だからこそ、観客もまた毎日の散歩や鼻歌のような気軽さで演劇と関係することができる。”
note.com/yuseid/n/n01...
劇評を書いた頃から僕にとって遊星Dは「ふしぎ集団」なのだけれど、それは「何考えてるかわからない」というよりも、表立って言われることが「わかりすぎるくらいわかる」ような気張らない素朴さであるにもかかわらず、できあがる劇空間の「ふしぎ」さは一体なんなんだろう、という驚きだ。
先に冗談めかして衒学的なドキュメントであったらと書いたがこれは半ば以上に願望で、そうあってくれたら理解した気になれるのだけれど、たぶんそうはならず、また頭を抱えることになるのだろうなという予感もある。
現場で横目に見ていても、表面的な行為のレイヤーでは不思議なところが何もなかった。それでいて、上演されてみれば周到に「奇跡」を待ち構える時空間ができあがってしまうので、すごかった。あれは一体なんなのか。
(まあこれは、そもそも僕の「本番を前提とした演劇の制作というのは目的遂行的な行為であるほかなく関係者を手段として抑圧する危険とつねに隣り合わせ」であるという予断が強すぎるが故に見過ごしているものも多いという話ではあるだろう)
そして、僕のカハタレの稽古場日誌の書きぶりは、「目的遂行的な行為」として「関係者を手段として抑圧する」ものであったな、といたく反省した。ごめんなさい。
!!!
いいんですいいんです全然ほんと、それ以上にたくさんのことを柿内さんから頂いていますので! 僕自身、「外交役」としてもっとできることあるのかもなーと反省する機会になりました。
ドキュメントの公開、時間かかりそうですががんばります!
ふぢののラジオは奇奇怪怪より面白いよ
公園の橋という一見は派手でないものに公務員や土木屋のこだわりとがんばりがあることに日の目を当てる、いい動画だった
youtu.be/OIwy53yKNkM
自身への固有性への幼稚な愛着を、長らえてなおいつまでも保持しうる、というのが男性についてまわる成熟の困難の根因のひとつであろうし、逆に、女性の側にだけ成熟を強いるような構造じたい、男性側があまりに気軽に行う暴力によって形成されているということも、本書では示唆されている。
原田真央『うまれる通信』を読む。とてもよかった。「母」という抗いがたいひとつの名の集合に、自身もまた飲み込まれてしまったという取り返しのつかなさを記述しつつ、滲み出るのは個としてのこだわりや趣味判断である。どこにでもいる誰かに成り果てた後にこそ、他の誰かではありえない個人としてのありかたが浮き彫りになる。
がむしゃらにほかの誰でもない我を確立しようとする時期にある人々は、つねに似たり寄ったりである。そのような凡庸さを離れ、その人の固有性が成立するのは、他の誰とでも似ていうるという自身の凡庸さを引き受けた後なのだ。