【博物館と美術館 頼るのに軽んじるとは】 www.asahi.com/articles/DA3...
この日の朝刊を確認しながら、一番読んでほしいと思った記事。
《経済の行き詰まりを打破する手段として、文化に頼る。にもかかわらず、経済性の指標を一方的にあてはめ、文化を守り育む行為を軽んじる。それは身勝手というもの》
(引用)
小熊英二さんのコメントプラスも一緒に
>国の存在意義は、市場経済では運営できない事業を行うことにある。警察や官庁や自衛隊に「稼げ」と要求するだろうか。だとしたら、国立博物館に「稼げ」というのはどういうことなのか。私には理解できないので、政府には説明してもらいたい
Posts by 田渕 紫織(新聞記者)
きのうから宿直勤務。
夜間~翌昼の突発のニュースへの対応と、朝刊紙面のブラッシュアップに向けた確認・校閲が仕事です。
群馬・上野村の山林火災の延焼が続いています。
記事の写真は、近くの消防出張所から撮影された写真です。
地元の方からお借りしました。(大変な中、本当にありがとうございました。)
www.asahi.com/articles/ASV...
避難指示はいったん解除されましたが、乾燥と強風が続き、延焼が止まっていません。すぐ現場に行ってお話をうかがえないのがもどかしいです。
大型書店と言えば。
名物書店員(元店長)の福嶋聡さんにロングインタビューをした時の言葉を思い出します。
「売り上げデータだけに縛られていたら、最大公約数的な本しか見えません。書店、特に多くの本を置ける大型書店は、社会の変革器であるべきです。売り上げデータだけに頼っていたら、今ある社会の欲望や格差の増幅器にしかなりえません」
記事タイトル:本当に面白い本って何だ 名物書店員、「売れる本を売る」からの脱却
www.asahi.com/articles/ASR...
神保町では、同じく4年前に岩波ホールも閉館しました。
そこに昨年末、新たなミニシアターができたという朗報!(通います。)
その支配人を取材して書いた記事が、きょう朝刊3面の「ひと」欄に載っています。
「書類、メール、会議、計算……。時間が溶けていく。今日も残業だ。」
という書き出しで始めてみました。
開館前にお話をうかがっていて、感情移入した部分でした。
記事タイトル:(ひと)稲田良子さん 東京・神保町でミニシアター「シネマリス」を開業した
www.asahi.com/articles/DA3...
神保町に戻ってきた三省堂本店のビル
神保町に戻ってきた、三省堂の本店に行ってきました。
コロナ禍の苦境もあっていったん閉店したのが4年前。
そのときの記事と写真がこちら↓です。
www.asahi.com/articles/ASQ... 記事タイトル:「神保町ありがとう」三省堂が一時閉店 古書店街の「粋」は今も
今日の写真はこちら。
高層化し、本屋はカフェや文具売り場混みで3階部分まで。かつての「ビル丸ごと本屋」ではなくなっています。
本棚を見上げるのではなく見下ろすつくりは、不思議な感じ。
自己啓・ビジネス・学参・漫画が多いのは商売上しょうがない一方、専門書の棚には、限られたスペースからぎりぎりの矜持を受け取りました
今週末まで東京工芸大(中野)で開催中の「語りにくさを語る――大川小をめぐる15年の対話」展の記事を配信しました。紙面では近々。
語りにくさそのものを語っているとみるか、語りにくいけど語られなければならないから語っているとみるか、展示の内容をふまえ、デスクと何度もやりとりしながら編集しました。
記事タイトル:被災地で知った、大川小の「語りにくさ」 東京での展示を見た遺族は
www.asahi.com/articles/ASV...
「ネットと災害 30年史」を視覚的にまとめたページも作っています。
パソコン通信、mixi…災害の歴史はネットの歴史と重なります。
www.asahi.com/special/inte... #ネットと災害30年史
今のXには思うところが多く、私は個人アカウントを持っていませんが、日本でツイッターがぐんと広まったのは、東日本大震災のときでした。
災害時のSNS上の誤情報は能登地震のころから特に注目されていますが、現場の方々に取材すると、中越地震(2004年)や東日本大震災(2011年)の時も起こっていました。
ただ、このころのSNS上の誤情報は、「善意」から来る食い違い。 今とは全然違いました。
記事タイトル:命救ったツイート、ヘリは東京から気仙沼へ 始まった誤情報との闘い
www.asahi.com/articles/ASS...
前掲は、同僚たちが竹中さんの記者生活をたどった記事からの引用です。
読んでいて切なくなりました。
これも、存命中に本人に聞き書きした人や、没後に資料をたどって調べた人たちがいたからこそ。
以前、文筆家の平山亜佐子さんにインタビューした際も同じことを思いました。
平山さんは、1900年代から30年ほど流行った、「化け込み婦人記者」の仕事や人生を調べていました。
女性記者が行商や仲居に変装し、有名人宅や料亭、カフェーに潜入して、ルポする企画です。
www.asahi.com/articles/ASS...
記事タイトル:変装し潜入した女性記者たち 光った観察力、続くジェンダーギャップ
朝日新聞の女性記者(取材記者)第一号、竹中繁さん。
私娼や中国の「ベビーボックス」の先駆的なルポを書かれました。
www.asahi.com/articles/ASV...
《だが、男性ばかりの社内で居場所をみつけるのは難しかったようだ。「私はひとりぼっちで、窓のほうばかりみていました」。当時の社会部長から「『窓の女』というニックネームをつけられた」と回想している》
《社内でお昼を食べるのもはばかられたようで、「外に食事をする場所はあったにしても女ひとり気軽に入れる店はありません(中略)私はとうとう弁当抜きで過ごしました」》
《竹中自身、未婚のまま出産、その後は子どもと離れて暮らした》
15年の時の経過を感じる、非常に厳しい作業でした。
能登地震や能登豪雨の時も発災直後に検証報道に関わりましたが、当然ながら、全然違いました。
話したくない方に無理に聞くことは絶対に避けながらも、直後に記録しておく意味はとてつもなく大きいと改めて思いました。
同じ大槌町内で、621人分の行動記録を集めた犠牲者回顧録の調査を担当した麦倉先生(下掲の記事でも取材しました)たちとも、取材時、その話になりました。
www.asahi.com/articles/ASV...
殉職した消防団員の動きをたどり、地図に書き込んでいった
大槌町消防団第2分団の殉職者(朝日新聞の朝刊に載った図)
この記事で「葛藤」と「割り切れなさ」をお伝えするためには、ベースにある、殉職した11人の分団員がどんな最期を迎えたのかという「事実」にぎりぎりまで迫る必要がありました。
津波にのまれる姿を最後の最後まで見ていた人の多くはご自身も帰らぬ人になっています。生き残ったからこそ語りたくない人も多い。
まちも一変し、当時と同じ場所に住んでいる人もほぼいませんでした。
それでも生き残った団員の話を手かがりに、住民を訪ねて複数の証言で裏づけ、住宅地図に書き込んでいきました。
書き込みだらけの原本は個人情報が大量でお見せできませんが、最終的にまとめたのが左側。これを右側の記事掲載の地図にしてもらいました。
【東日本大震災で半数が殉職した消防団の今】新入団員への置き手紙
《市内で51人が殉職した。被災した市町村で最も多かった。「人が人を助けるのは当たり前の行為だけど、それで命を落とす人がいた」》
(記事から引用)
www.asahi.com/articles/ASV...
昨日のオープニングトークにもいらしていた佐藤さんへの、同僚のロングインタビュー。
佐藤さんは、大川小のご遺族の中でも、特に多く各メディアの取材に応じてくださっている方だと思います。
「きっと、日本のいろんなところに『大川小の校庭』があるんだと思います」
10年前の記事なのでお考えが変わっているところもあるかもしれませんが、読んだ当時、この言葉が特にぐさっと胸に刺さったことを覚えています。
(インタビュー)大川小の校庭から 「小さな命の意味を考える会」代表・佐藤敏郎さん
www.asahi.com/articles/DA3...
東京・中野でやっている「語りにくさを語る――大川小をめぐる15年の対話」という展示を取材してきました。
展示もオープニングトークも夢中でノートをとっているうちに30ページ以上になりましたが、これを、どんなに長くても1500字ぐらいの新聞記事にするのに悶絶。
近々、記事にします。
r-dimension.xsrv.jp/okawa/
【震災15年に語られた言葉たち】 www.asahi.com/articles/ASV... 「
「重たく、生々しい。でも同時に、みなさんとの日常のことも思い出しました。思い出させてくれてありがとう。苦しいけど、うれしいです」
(当時、宮城県名取市閖上でケアマネジャーをしていた佐野キエ子さん。
市震災復興伝承館に飾られた震災直後の閖上の油絵を見て。描かれたガレキの山に、担当していた高齢者たちが下敷きになった)
慢性的な腰痛で整体にかかったら、「かばんは絶対リュックにしたほうがいいです」と言われてリュックにしたら、世界が変わった。
なんて楽。体の前にも横にも、何もない。腕も手も空く。
(姿勢のためには、前に抱えるのをすすめられたけど。)
パソコンとカメラとノートと資料と…重いかばんを2個持ちはどうしてもバランス悪かった。
15年前、計画停電や節電で真っ暗だった街を覚えていますか?
あのときの銀座や新宿と、今の銀座や新宿の夜景を見比べられるよう、編成した記事です。
(写真内のバーを動かして横にスクロールできます。)
当時、首都圏に住んでいた一人として、事故の被害を受けるのは原発の近くに住む人たちで、電力だけ受け取っているのは首都圏の人たち、ということを強く意識しました。
15年後の今、再稼働した柏崎刈羽原発も同じ構図です。
記事タイトル:節電で真っ暗だった銀座と新宿、15年後の今を歩く 進む脱・脱原発 www.asahi.com/articles/AST...
本当におっしゃる通りだと思います。
この殉職の外側に、丸腰ではっぴを来て避難誘導中に犠牲になり、同等の殉職者とも扱われない婦人消防協力隊(防火クラブ)の女性たちもいます。
どちらの殉職もあまりに大きく、今回の文字数でどちらも書き切れませんでした。来月以降もお伝えしていきます。
このようなご指摘をいただけることで、本当に支えられます。ありがとうございます。
きょう3月11日、被災地各地で取材した記者たちが、現場で出会った印象的な一言を、1本の記事にまとめました。
といってもどの言葉も捨てられるわけがなく、どう短くするか、デスクと悶絶しました。
今日の最後に、宜しければお読みいただきたいです。
あす12日 20:28まで全文お読みいただけるようにしております。
記事タイトル:「どれだけの人があの日生きたいって」震災15年に語られた言葉たち
digital.asahi.com/articles/ASV...
東日本大震災で犠牲になった2万2千人を超える人には、一人一人に名前があります。
きょう、繰り返しテレビ各局に映っている、岩手県大槌町の追悼施設「あえーる」にも、震災の犠牲者の名前が刻まれています。
一方、ここに名前が刻まれていない人もいます。
取材すると、追悼碑に名前を刻むことが「証し」や「よりどころ」になるという声がある一方で、「見せ物ではない」という訴えもありました。
各地の碑を訪ね、遺族や住民、首長、研究者の話を聞き、3・11と「名前」について考えた連載です。
あす17:14まで無料で全文お読みいただけます→
digital.asahi.com/articles/ASV...
3月10日の朝日新聞朝刊の社会面トップ
紙面掲載は、3/10の社会面です。
見出しは大きく、
「答えはねぇよ、出せねぇよ」
この割り切れなさ。一番伝えたかった言葉です。
《「俺だけ生き残ってしまって、申し訳ない」》
《助けた人も、助けられなかった人も、その家族も、同じ地域で生きていかなければならない。だからこそ、苦しい》
《メディアの取材を受けると、寝たきりの住民を助けた団員たちが命を落としたことに話が及ぶ。「よく『今後同じことがあったら、どうしますか』って聞かれっけど、答えはねぇよ。出せねぇよ」》
(記事から引用)
連載「命を守る人を守る」のページはこちらです
www.asahi.com/rensai/list....
あの日、人を助けて亡くなった消防団員がとても多くいました。
命を守る人が命を落としてはいけない、命を守る人を守るにはどうすれば、という問いのもと、半年前から取材してきた記事が先ほど配信されました。
生き残った団員、ご遺族、たくさんの住民にお話をうかがって証言を集め、ある分団で職に殉じた11人の最期をたどりました。
取材に応じてくださった方も、話したくないからごめんという方も、全員が葛藤を語っていました。
葛藤をそのまま記事に書きました。
あす11:55まで無料公開しました。近所の話に置き換えて読んでいただきたいです
digital.asahi.com/articles/ASV...
東日本大震災のとき、障害のある人や高齢者ら自力で避難できない人は数多くいました。
しかし、いないかのように扱われたり後回しにされたりと「透明な」存在になりがちでした。
誰もが安全に避難生活を送るために、考えた連載です。
【連載「透明な被災者~東日本大震災と要支援者~」】 www.asahi.com/rensai/list....
東日本大震災当日、大揺れを感じ、津波をおそれて、多くの住民が避難しました。
しかし、避難もできず、迫る津波で、命をつなぐ医療機械の電源が落ちてしまい、助けも呼べず、命をなくした人たちがいます。
そのうちの一人が、狩野悟さん、当時17歳。
仙台の岸記者が、両親の墓参に同行させてもらい、丁寧に思いを聞きました。
「医療的ケア児」という言葉だけでは見えてこない、本人の姿を記録しています。
記事タイトル:息子は17歳、命つなぐ機器を津波が襲った 「見ていてくれるかな」
www.asahi.com/articles/ASV...
首都直下地震の被害想定のことと合わせて、新聞記事の字数に書き切れなかったことは「子どもの命を預かる──大震災時のお迎え問題」(『世界』3月号)に書いています。
www.iwanami.co.jp/book/b101592...
おはようございます。2万2千人以上が命を落とした東日本大震災から、15年目の朝を迎えました。
当地に区切りなどありませんが、この命日に読んでいただきたい記事を無料公開しております。(3月12日 5:43まで全文お読みいただけます。)
9人の園児を津波で失った園長先生が、「子どもたちを助けられなかったことによる私自身のこの悔しい思いを、二度と、誰にもしてほしくありません」との思いから語った言葉です。
「一生後悔していく」「自分で自分が許せない」
そう話す遺族や保育士の経験が、二度と繰り返されないよう、心から願います。
digital.asahi.com/articles/ASQ...
大川小をめぐる「語りにくさ」についての展示を取材し、若手記者の大川小についての別の原稿にも伴走しながら、地元紙・河北新報の渾身の検証連載『止まった刻 検証・大川小事故』を再読しました。
www.iwanami.co.jp/book/b458058...
どの立場の人にとってもあまりに重苦しい記憶を、何のために話してもらうのか。
何のために記者は、調べ、人間関係を築き、聴き、幾重にも裏付け取材をし、記事にする技術を鍛えて使うのか。
その原点が詰まっていて、大災害があるたびに読み直しています。
(能登豪雨で検証記事を書いたときも読み、先週末も殉職した消防団員の取材をしながら思い出しました。)