#川村文乃アドベントカレンダー
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「衝動と有能のあいだ #記憶に刻みついた川村文乃 」林拓郎
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Posts by 風見鶏
今週の月曜昼優勝ルーティン
あと、こういう時は「お馴染みの人と飲みに行く」といった、「楽しいがそれなりに体力を要するルーティン」も控えることにしている。
自分は外食をすると酒を飲んでしまうということもあり、基本的に「体力を要する外食」の回数は一週間に3度までにしておいた方がよいな、と感じる。GWは千葉-三陸遠征の流れで五連続外食となったせいで胃腸の具合が完全に狂い、結局完全に立て直すまで十日かかってしまった。
今日から火曜の午前中にかけて、
⑴移動距離が長く、⑵拘束時間も長く、⑶場合によっては長期的展開を左右するような交渉を伴う集中力を要する日程が毎日続く。おそらく前期最大の山場であろう。
こういう時になるべく気をつけたいのは、優先度の観点から日々のルーティンを疎かにしないようにすることだろう。毎日データを打ち込むようなタスクを後回しにしてしまったりしない方がいいし、毎日少しずつ読み進めているような本も少しペースを落としてでも続けた方がいい。さもないと、「嵐」が去った後にルーティンを立て直すことにエネルギーを要することになってしまう。
付言すると、責められるべきは、己の「無能」を一度思い知ったにも関わらずそこに居直る「傲慢案件」の場合である。
ただ、そうした「傲慢案件」も、それが単なる「無能案件」にも関わらずそれを責め立てるという別種の「傲慢案件」に対する防衛反応として生じていることが多いので、そもそもそれが発生しないようなコミュニケーションスタイルに改めるべきなのだが、そのスタイルを知らないということもまた別種の「無能案件」であり…といった形で、結局は無限背進が続くことになる。
そう、「相手のためになっていたか/一緒になっていたか」という基準に照らした時、相手と善意のグルーミングを行うため、反ポリコレ的な言説を繰り出す人というのは本当に存在すると思うのです。
ただ、⑴それがグルーミングになりうる相手かを判断する観察力、あるいは、⑵そもそも、それがグルーミングになり得ない相手が存在するのだという想像力、を持っている人は思ったほど多くはない。⑴や⑵を持っていないことは端的な「無能案件」なので、それを責めるのはお門違いです。そうなると、そのことを責められることなく、自分が⑴と⑵を持っていないということを学習する場が必要になる、ということになるのだと思います。
月曜昼の優勝ルーティンこと和処ランチ再開。
⑵「自然に出てくるand」を推奨すると、昭和的な価値観の人からは今時のポリコレに抵触する発言が出てきてしまうのではないか問題。
これに関しては、その発言が出てくること自体は許容した上で、他の成員が「それに対してどう思うのか」という「and」を重ねていった方がよいと自分は思う。単に「ポリコレに気をつけて口をつぐむ」というのは所詮は対症療法でしかないので。
林さんのワークショップについてO氏と話していた件の覚書。
⑴「遠慮なく言いたいことを言いあえるコミュニティ」には、それまでの積み重ねの中で「yes, and」の「yes」が不可視的に蓄積されている。
この蓄積にはそのコミュニティ自体の歴史と、そのコミュニティ外の社会の歴史の両方が関係する。後者における心理的安全性が低くなると、前者がそれまでのつもりで「yes」を暗黙化した上で「and」を要求しても、新規参入者が尻込みしてしまうことが多い。これを克服するには、①前者における「yes」を明示化する、②新規参入者が「and」を出しやすくするような戦略的働きかけが必要。
最近流行りの「電車に座って顔を上げると目の前に\神/が遍在している」宗教体験を自分も味わうことができた。
1970年前後生まれの研究者の方々と連日話す機会があり、「サムネはチャラく、内容は質実剛健」みたいな美学が共有されていることを実感した。
以前、近年の小沢健二を評して、「ニューウェーブ的なアマチュアリズムの皮の下に、プログレ的なプロフェッショナリズムが潜んでいる」と評したことがあったが、この傾向はMETAFIVEとかLOLOETにも感じることがあり、分野を問わず近年のアウトプッターに見られる共通の戦略性なのではないかと思う。そしてそうした戦略がとられる理由は、おそらく以前記事に書いた通りである。
note.com/angenomuddhi...
とは言え、連休中5/2(市川)→5/3(蘇我)→5/4(気仙沼)→5/5(一ノ関)→5/6(錦糸町)と計5日間、日中歩いていたことの矯正力は大きかったと思う。アンジュルムと地形巡検に感謝である。
まあ、それ言ったら渡英中も似たようなもんではあったのだが、何せ時差があるもんで帰ってきた時点で折角向こうで培った体内時計が無効化されてしまったからな。
一般に⑴アウトプット作業、⑵インプット作業、⑶メンテナンス作業など、⑴と⑵は眠い時には全く捗らないので昼食後には不向き。逆に⑶は多少眠くとも何とかこなすことはできる。
また⑴は夜寝る前などにやっていると頭がギンギンに冴えて眠くなることを考えると、午前中⑴→午後⑶→夜⑵という順番が望ましいだろう。
無論午後眠い時に退屈な⑶をやるのは、決して快適ではないのだが、QOLを維持したければ、この時間帯しかないだろうな、という感じ。
コロナ禍中の在宅オンライン期間に昼寝の習慣がついてしまったせいで、⑴夜中の睡眠の質が落ちる、⑵太るなどの弊害が出てきた。
今年度からは公私共に外に出る機会が増えてきたため、外出日には強制的に矯正されるのでよいとして、うっかり在宅日に昼寝してしまうと結局夜寝られなくなり、翌日に最悪のコンディションで外出しなければならないなど、QOLに支障が出てしまう。
対策としては、⑴一番眠くなる昼食後に買い物やウォーキングに出かけて矯正する(ただしこの方法はもう少し暑くなるとキツい)。⑵眠い時でもやり過ごせるタスクを投入する。本当はシャワーとかがベストだが、データ関連の単純作業がセカンドベストか。
一方で留学から帰って久々に大学図書館を訪れてみると、そのバイトポストは廃止されて、もっと締め付けの厳しいアシスタント職みたいなものに変わっていた。たぶん大学図書館側もそういう大学院生のドッグランみたいな場所を許さなくなったのだろう。
その後21世紀に入ってからも、そういう解放区みたいな隙間を見つけては居座り、また当局の締め付けが厳しくなると去る、みたいなことを繰り返している。そしてぼちぼち「解放区」というものは自分で作り出さないとならない段階になってきたな、ということも思う。
自分はアカポスは宝くじみたいなもんだろうと割り切って、大学図書館でのバイトにリソースを割いていたな。ちょうど学術情報のIT化が進行中の時期だったんで、図書館人脈を押さえた上で学術情報データベースの管理スキルを磨いておけば絶対将来的に潰しが効くだろうと踏んだからで、実際その読みは正しかった。
仕事自体は授業の空きコマに入って、利用者が来なければ座って自分の勉強をしていれば良かったので、事実上返済不要な奨学金をもらっているようなものだった(なので授業がない日もずっと大学にいた)。色んな専攻に跨って友人も出来て世界が広がったし、まあ幸いにして精神衛生に一切の変調を来さぬまま院生時代を終えられた。
"2017年、ベルギーの3千人以上の大学院生を対象としたウェブ調査で、大学院生の精神疾患のリスクは、一般の人よりも約2倍高かったと報告された。18年にはテキサス大の研究者が25カ国、2200人以上の大学院生にSNSなどで調査をし、多くの学生が不安やうつを抱えていたと発表。ワーク・ライフ・バランスの問題や、指導教員との関係、研究費獲得のプレッシャーなど様々な要因があるとし、学生への支援の必要性を強調した" digital.asahi.com/articles/ASS...
それはそうと、論文を書き終わって一段落したので、オクスフォードの老師から一ヶ月前に送られてきた老師の最新稿を読み直してみたところ、自分が色々頭を捻って練り出した結論が既にそこに書いてあってワロタ。やはり老師とはこうでなければならない。
老師は流行りの潮流からは常に距離をとり、その膨大な知見に基づいて何となくケムを撒くような結論で終わることが常なのだが、やはり盲信するならこういう人だと思う。盲信自体は決して悪いことではない。問題は何かを力説する人を盲信することであり、力説から距離をとって自在に振る舞う仙人を盲信することは、我ら衆生が自在の境地を目指す近道である。
逆に中断を強いられる時は、後で脳内アプリの再起動に時間がかからないようなるべく文字化して覚書にしておくことが重要なのだが、さっき二週間前に前倒しで行った授業準備の覚書の意味が一瞬分からなくなった。
多分この程度の覚書でも思い出せるだろうと高を括って略記したのだろうが、二週間後の自分は完全に「他人」であると想定して、もっと親切な覚書を残した方がよい、と痛感した。
色んな歯車が上手く噛み合って、当初半年後くらいに仕上げる予定だったちょっとした論文の草稿が仕上がってしまった。
論文でも小説でも何でもそうだが、最後まで仕上げるコツは、なるべく間断なく集中して執筆できるまとまった時間を確保することだと思う。そうすることで執筆や資料参照に必要な「脳内アプリ」を並列的に立ち上げることができ、作業能率を加速度的に上げることができる。
逆にまとまった時間を確保できないと、中断のたびに脳内アプリをいちいちスリープ状態から立ち上げ、みたいなことを強いられるため、作業能率が格段に落ちてしまう。
おそらく投函系のタスクは作業工程の効率化を図りたがるあまり、「外に出かけた時についでに投函しよう」と思ったままタスクの存在自体を忘れてしまうのだろう。そうなると多少非効率でもその都度投函するか、あるいはスマホの壁紙リマインダなどを設定するのがよいのだろうが、そうするとリマインダの設定作業自体を忘れてしまう可能性も出てくるので、今のうちからこういう画像を壁紙にすることにした。とりあえずこれでその都度の案件に合わせて何かしら思い出すだろう。がんばれ、未来のワイ。
「先を見据えた前倒し処理」ということに慣れてくると、タスク一つ一つを脳内で極度に抽象化してしまうところがあるようで、デジタルデータだけで済むタスクならいざ知らず、⑴書類を作って、⑵ポストに投函する、といったフィジカルな過程を伴うタスクの場合には、⑴だけで脳がそのタスクを「done」と判断してしまう傾向があるようである(先程、数週間前に早々と整えて封筒に入れたことで脳に「done」と判断された書類がファイルの中から見つかったので、慌てて投函してきた)。
先週末は珍しく何の予定もなく、先週と今週は二連続で火曜日の仕事がオンラインになったおかげで、奇跡的に十日間ほど余裕のある日程を過ごすことができた。
これを奇貨として500ページほどの史料を一気に読み進め、それをもとにしてさらに一章分次の論文の筆を進めた。残すは最終章と結論部のみ。とりあえず山は超えた感がある。
明日からは三泊四日の旅に出る。連休明けからはオンライン授業日もなく、週末には毎週のように何らかの予定が入る。研究に関わる作業はより細分化して日常の中にまぶしていかなければならない。
The heat from the O-zone hole made the iceberg dissolved, and a seal who had been living on It, has to live alone in a wide ocean from now on. www.bbc.co.uk/news/science...
新職場の風景。これはやばい。世界観が変わる。今時山の手地域のちまちまとした高低差で満足してるやつ、マジで危機感持った方がいい。
【編集部】「大阪府の吉村知事が人口減対策として「0歳児選挙権」の導入を訴えた」いう記事について、本紙報道とのご指摘をいただいておりますが、これは現実のニュースです。ご了承ください。
www.asahi.com/sp/articles/...
ある対象に対する興味というのは対象に対する「タッチ数」が少なすぎても多すぎてもダメで、少なすぎると「興味」という脳内回路が回らなくなり、多すぎると飽きてくるところがある。
これを避ける方法としては、それぞれの領域で何かしらの強制力を伴う「タスク(原稿執筆、まとめ役など)」を引き受けてしまうことで、これを交互に引き受けていくと、対象Aの「タッチ数」が減って興味関心が薄れた頃に強制的に「タッチ数」を増やすことで興味回路を再活性化させる一方、対象Bの「タッチ数」が多くなりすぎることによる「飽き」を予防するみたいな機能も果たすことができる。
で、次のネタは研究史論文なので、今「史料」として読んでるのは20世紀半ばくらいのそれなりに名の知れた知識人の文章なのだが、ずうーっと20世紀初頭の史料ばかり読み漁ってきた自分の目からすると、20世紀半ばくらいになるとあんまり古びた感じがしないというか、思いの外今の人達と言ってることに変わりがない。
まあ他界隈だとベイトソンあたりもこの頃に出てきた人だもんな。案外ポストモダンとかより構造主義と前と後の方がパラダイムシフトとしては大きかったのかもしれん。
何というか、功を急ぐあまりその辺の感覚を分からずに20世紀半ばの人らを「骨董品」扱いすると恥を掻くから慎重にならねば、と思った。