おまけに、今回のように、国の根幹を変えるよな話を国会での議論を通さない閣議決定で決めるというのは民主主義国家としてどうなのかとも言える。国会を軽視する高市政権があるうちにやってしまえという焦りも見える。実際この政権だからやってしまった暴挙なのだろう。武器輸出規制解除には一応紛争当事国への輸出はしないという文言はついている。でもそれには例外規定があり、その例外を認めるのは国会ではなく政府であり、国会は事後的にそれを聞かされるに過ぎないということになっている。これは民主主義的手続きとは言えない。よその国がいくら歓迎しようと、こんな決め方では、こんな内容では、日本国民としてまったく歓迎できない。
Posts by kaz hagiwara (萩原一彦)
この話は急に出てきた話ではない。2022年あたりに日本が持つ米国製の兵器を自由に他国に融通したいという話があったし、同じ頃日本のそうりゅう型潜水艦をオーストラリアに供給する話がフランスとのコンペに負けて立ち消えになったという話もあった。またEUとは戦闘機の共同開発もすでに始まっている。護衛艦をフィリピンに売りたいという話も持ち上がっている。こういう話を進めたい時にいつも邪魔になったのが武器輸出三原則の5類型規制だったという事情は知っている。世界の兵器流通経路に日本の兵器産業も乗っていきたい気分があることもわかっている。でもそれは平和国家の矜持と矛盾する。憲法9条を持つ国として欺瞞ですらある。
日本が武器輸出を全面解禁したニュースに、米英仏の駐日大使がそろってXで歓迎のポストを出してるんだけど、なんだか薄気味が悪い。いずれもGrokの自動翻訳をあてにせず、最初から日本語で出している。ということは日本語で読むXのアカウントホルダーに(というか日本国民に)向けて肯定的なメッセージを出すことで高市政権を後押ししているわけで、それもここ数週間の国会前での反戦、反高市デモを十分承知した上でのことであるはずだから、よけいに変な胸騒ぎがする。いったい何が起きているんだろうか。
カタール航空でドーハ経由の便を6月末に予約してたんだけど、キャンセルになってしまった😩 返金は無料でしてくれるというんだけど、オーストラリアからワンストップで東欧に飛べる数少ないキャリアだったんだよね。このご時世だからしょうがないっちゃしょうがないし、そもそもこの情勢だからこそ格安で出してた値段に飛びついたわけで、自業自得ではある。とほほ。
産経新聞はかなり楽観的 www.sankei.com/article/2026... ですね。石油危機は回避されるかもしれません。一方高市氏の今回の卑屈な外交は、いくら産経が持ち上げても、本当にイランが日本タンカーを通しても、やはり相当な政治的ダメージになると思います。そもそも高市首相は今後どのツラ下げて国際的な場に出ていけるでしょうか。自民党総裁交代=首相交代はあるかもしれません。善意に取れば高市氏は首相の座を犠牲にした一世一代の芝居を打ったと言えるかもしれません。が、やはりあれはいくらなんでもあんまりだと思う僕みたいな日本国民の数は激増したと思います。
自分で自分のプライドを蹂躙して屈辱をこらえて「実」を取るといったビジネス交渉は日本では接待の場で歴史的に行われてきたことだし、日本のビジネス風土で育った人たちの得意とする芸風と言える。トランプがそれに乗せられる俗物と読んだ日本の外務官僚がこの「幇間外交」を演出したとしても驚かないが、それを見せられる日本国民はたまったものではない。
これが高市訪米の成果に対する両極端の評価を作っている。これでホルムズ海峡を日本のタンカーが通過できるようになれば高市訪米の成果はあったと言えるかもしれないが、「世界にあんな醜態を見せてまで」という記憶はこれからずっと人々の記憶に残り続けることになる。
穿った見方をすれば、日本の訪米団は、日本の女性首相に「ドナルド・トランプの忠実なしもべ」か、もっと言えば「妾」の役を演じさせて、徹底したトランプ個人への支持を演出して、トランプ個人とホワイトハウスのトランプカルト的な取り巻きを満足させるために訪米し、その対価としてアメリカとイスラエルの対イラン戦争への直接的かつ具体的な関与を回避して、イランによるホルムズ海峡封鎖の日本に対する適用除外交渉への道を残したと言うことができるかもしれない。
他方、これは一言で言えば「幇間外交」で、世間体は最悪、国際的には日本国民に恥辱を与えるような外交姿勢で、国家の尊厳、国民のプライドを踏み躙ったと言える。
今回の高市訪米の日本国内の見方は、「屈辱」から「大成功」まで極端に分かれている。派遣された訪米団の内情がわからないから彼らが何を目的に訪米したか本当のところはわからない。
表面的に見える絵柄は、日本の女性首相が米大統領の先の訪日で見せたのと同じような愁眉をトランプ個人に振り撒いて媚を売り徹底的に聞き役に回りトランプの言い分を丸呑みにしていい気分にさせて帰ってきたの図ということになる。また、今回の訪米では、日本が手土産として持っていった対米投資案件とこれまで合意していた事項の確認が実務者レベルで行われただけで、首脳同士が署名する新しい合意は何も行われていないし、首脳会談後の共同声明もなかった。
外務省がどんな役所で、自分の仕事は何だと思っているのかは、この手の動画を見て一度確認しておきたい。なかなか根深い事情がある。
話しているのは元外務官僚三好りょう氏。
→ 外務省はなぜアメリカに逆らえないのか? youtu.be/4-Ddt12WoAo?...
高市首相、大日本帝国の教えには子供時代から親しんでいたみたいです。
「小学校に入る前から、教育勅語を繰り返し教えられて育った。両親は全文を暗記していたという」
Wikipedia「高市早苗」より
田中角栄が「戦争を知っている世代がいるうちはまだいい。本当に恐ろしいのは戦争を知っている世代がいなくなったときだ」と言ったというのはこれのことなのだろうと思い当たる。北山修の「戦争を知らない子供たち」は戦争の傷跡を持たない純粋に平和を希求する子供達のはずだった。でも実際の「戦争を知らない子供たち」は人権抑圧と戦争への恐怖感も責任感も知らず歴史にも学ばない能天気なお調子者たちだったことが小泉純一郎氏以降の自民党の指導者層のメインストリームを見ているとわかる。田中角栄は草葉の陰でそれみたことかと言っている。
高市早苗氏が30年前に言った言葉を毎日新聞が話題にしている mainichi.jp/articles/202... 。「大日本帝国存在時に生きていなかった自分に大日本帝国の反省などできない」という考え方には一理ある。けど、そのように言うからには「大日本帝国」を切り離して相対化しなければならない。そして大日本帝国がやったことを日本国憲法を持つ日本国民の立場から忖度なく糾弾しなければならない。大日本帝国の責任は自分は取らないが大日本帝国こそ自分の国であるという幼稚で未分化な考え方には知性が感じられず、同じ轍を踏んで同じ破滅へと能天気に進んでいく愚か者の末路を想像させる。悪いがとても付き合えない。
私はいい、あなたはダメ。西側はいい、東側はダメ。アメリカとイスラエルはいい、ロシア中国イランはダメ。これらはそっくりそのまま逆側からも言われている。これだけ鮮明にダブルスタンダードが見えていてもだれもなにもしようとしない。ぼくらはもっと「国際法」に力を与える必要がある。地球規模の《法治》が可能な時代になってきているのだからできないはずはないと思う。
ですね。でも投票行動からやりなおすよりは、集計だけやり直すオーストラリア方式の方が手間もお金もかからないです。
「あらかじめ欠いてあり」→「あらかじめ書いてあり」 orz
まず1位がついた候補だけを数えそれで過半数を超えれば当選。超えた候補がなければそのとき最下位になった候補は除外してその人を1位にした票が2位とした候補を1位に繰り上げて再集計。それでも決まらなければ同じことを繰り返して再集計。これを誰かが過半数を超えるまで繰り返す。
これだと投開票日に完全な選挙結果は得られないし集計は大変だけど、死に票が少なく有権者にとって《少しでもマシ》な候補を選ぶことができるので投票した甲斐のある選挙になりやすい。
豪州ではこれに加えて投票は義務であり正当な理由なく投票しない人には少額の罰金が課せられる。
とにかく日本の衆院選挙の投票制度は見直しの時期に来ていると思う。
日本の選挙制度は抜本的に変えた方がいい。衆議院の小選挙区制では今回のような地滑り的な勝利が起きて逆に作用すれば政権交代が起きると期待され、たしかに一度は機能してそれで民主党が政権を取った。でもこの小選挙区内の《勝者総取り》制度だと死に票が大量発生して反映されない民意が大量に取り残されてしまう。
たとえばオーストラリアなどでやっている「優先順位式」はどうだろうか。投票用紙には候補者全員、政党全部の名前があらかじめ欠いてあり、当選してほしい順に順位をつけていく方式。以下スレッドで説明すると……
民主政治と衆愚政治は紙一重だと言ったのはプラトンだった。紙一重を分けるものは、民主主義体制の主体となる《個人》の《理性》だが、一般的に民主主義に参加する人間の大多数は理性的ではない。したがって民主主義は放っておけば理性を欠いた人々の欲望に引きずり回される衆愚主義に堕すという。
その意味でプラトンは民主主義を理想としつつ、民主主義に対して絶望に近い思いを抱いていた。衆愚主義に陥るくらいなら優れた哲学を持つ人に率いられた独裁国家の方がマシだとさえ思っていた。
今回の衆議院選挙結果をみてそんなことが頭をよぎった。民主主義の実現は難しい。それでも目指さなければ欲望に支配された蒙昧な衆愚国家になる。
基本的に、米国、ロシア、中国以外の国々は今回の米国のベネズエラへの武力攻撃には遠慮なく批判できる資格があると思う。ことによると中国は台湾を自国領と主張しているので《他国の主権侵害》という部分について米国を非難するかもしれない。国連主導の国際社会の法的秩序を考えれば、他国への主権侵害は認めるわけにはいかないはずだから、日本もその点については批判しなければならない。
一方、その国それぞれに叩けば出てくる埃があるはずだから、人権問題についての対応は国によって対応が分かれるかもしれない。
いずれにしても判断基準として国家主権と人権と利権の問題は切り分けて考え、非難すべきは非難するべきだろう。
ベネズエラ問題には、他に米国vs反米国家群の覇権争いの側面がある。石油利権を奪ったベネズエラに対する米国の経済制裁は、ロシア、中国、イランが軍事的経済的に支援して無効化してきた。
さらに米国のベネズエラに対する軍事力行使の大義の一つとして、ベネズエラが国家ぐるみで米国に向けて麻薬密輸密売を行っていたという話もある。
そんなこんなで、ロシアも米国もお互いの他国への武力行使について遠慮なく批判し合うだろうし、まだ武力行使をしていない中国は自分がこれからやるかもしれない武力行使に鍵をかけることになるのでダンマリを決め込むことが考えられる。当然他の国連加盟国にはこのような態度は滑稽に映る。
中国、ロシア、米国の中から、先に述べた理由で中国は比較対象から外れる。残るのはロシアと米国の比較。
ロシアが侵攻によって解決しようとした人権問題はウクライナ東部3州のロシア話者の問題で、これは領土問題と直結している。利権問題としては、ロシアによる侵攻でウクライナに持っていた米国の天然ガス利権が危機に瀕している。
一方アメリカがベネズエラで解決しようとした人権問題は独裁体制維持のための人権抑圧や、それで海外に逃れている数百万人のベネズエラ人の問題で、領土問題とは直結していない。利権問題としては、ベネズエラが併合した隣国ガイアナのエキセボ地域の石油産業の国有化で奪われた米企業の石油利権がある。
米軍のベネズエラへの爆撃と大統領夫妻の拉致に関してロシアのウクライナ侵略や中国の台湾への圧力と比べる論調があるけど、比べられる部分と比べられない部分があり、単純な比較には相当無理がある。
まず比較できる部分で言えば、他地域への武力介入という点だけど、ロシアと米国が《他国》への武力行使を《実際に行っている》のに対して中国は《自国内と主張しているいち地方》への武力行使でしかもそれは《まだ行われていない》。
ただ、他国への武力行使という点でロシアと米国は似ている。ともに《他国の主権を侵害》している一方その国にある《人権抑圧を解決する》という名目を持ち、《利権問題》《領土問題》も含んでいる。
野暮なようだけどこの書き出しはとぼけてないか。
→ 天皇ご一家は1日、新年を迎えられた
国連憲章の敵国条項撤廃のために日本にできることは、国連加盟国に「国際連合総会決議50/52」は今でも正しいのだと信じさせるに足る模範的行動を国として示し続けていくことしかない。そして、常任理事国を含む全加盟国からの署名を得て国連憲章を改定して初めて他の国連加盟国と同じ土俵に立つことができるし、そのために地道に決議実現を国際社会に働きかけていくことが、さらに将来、常任理事国入りの道を開くことになる。
まずそのためになすべきことは、国の内外に向けて「日本とはこんな国だ」と宣言した文書である「日本国憲法」をその精神に叛くことがないよう誠実に守っている姿を示すこと。それを日本政府は肝に銘じなければ。
国連決議は国連憲章の「見直し」の提案にすぎず、その提案に皆が賛成したからといってそれだけではその条文が「死文化」したことにも削除されたことにもならない。
これも日本的な社会文化ではあまりやらないことだけど、民主主義社会では一度作られた規則でも、それをよりよいものにするために《規則の見直し》は不断に行われている。「国際連合総会決議50/52」で決議された敵国条項の削除の提案もその「見直し」の提案で、提案にすぎない以上、存在する条文は削除されるまでは有効であると考えざるを得ない。
そして提案が提案にとどまる以上、時が経つ中で「やはりやめておこう」という逆提案さえ起こりうる。
日本社会の一つの特徴として、書かれた規則と実際の運用は別々のものと考えがちであることがあげられる。たとえば「80km/h制限」の標識が出ている道路で多くの車が100km/hで流れているなら、それは問題ない行為であり自分だけが80km/hで走れば周囲に迷惑をかけてしまうと考えるのが日本社会なのだけど、そこに厳然と「80km/h制限」の標識があるかぎりいつ警察に止められて切符を切られても文句は言えない。この場合「問題ない」は運転者の勝手な解釈でしかない。
削除されていない敵国条項を「死文化した」と解釈して行動をおこすことがこれと似ている。しかも国連決議には「死文化」という言葉自体含まれていない。
国連憲章の第53条および第107条と第77条の一部で第二次大戦の連合国の敵国であった国々について再び侵略のそぶりを見せれば安保理の決議なく攻撃を加えていいという趣旨のいわゆる「敵国条項」に日本が含まれている件について、国連は1995年にこの条文を時代遅れであるとして削除に向けた作業を行うとする「国際連合総会決議50/52」を可決している。
これを日本政府は独自に敵国条項の「死文化」と呼んで、この条文は存在するがすでに効力がないものと解釈している。でも決議に基づく作業は今に至っても開始されておらず、削除もされていない。ここで日本が「死文化」と「削除済み」を混同して行動するのはきわめて危ない。
「被害者意識」が戦争を引き起こすために使われることはよく知られている。
ナチスのゲーリングは「国民を従わせるのは簡単なことだ。国が攻撃されていると告げ、平和主義者を愛国心に欠け、国を危険にさらしていると非難すればよい。これはどのような国でも通用する」と言う。
ならば、不戦条項を持つ憲法を頂く国の平和主義者としては《国家が被害に遭っている》的な被害妄想醸成の動きにはいつでも敏感である必要がある。今回、高市支持者らが「左翼は高市首相に中国に行って習近平に謝罪しろと言っている」といったような被害妄想的な夢物語を作り上げてそれを根拠にマスコミを左翼扱いして批判していることには、注視せざるを得ない。
「マスコミと左翼は高市首相に中国に行って習近平に謝ってこいと言っている」という都市伝説を元にして何か言っているのがたいていは高市支持者であるという点は本当に奇妙な現象だと思う。
高市氏がしたことを批判している人たちは誰も習近平に謝れなどとは言っていない。彼らは単に高市氏がこれまでの政権がしてきたように日中共同宣言と日中平和友好条約を堅持するという簡単なことが言えずに、自分の国会での不見識な発言がその方針に反していたことを認めることができないことを批判しているのであって、高市氏に中国(や習近平)に謝罪することなど望んでいない。
それを中国への謝罪要求とするのは被害妄想の醸成と言う他ない。